小説稼業と文学商売

訪問介護事業所の内定は貰ったけれども、肝心のライティングの案件はまったく貰えない。仕事がなければ、自分で作らなければならない。とうとう文芸ないし文学で勝負する時が来たようだ。いいんですよ、WEBでSEOを露骨に意識した安い記事を書くよりも、本を書いた方が圧倒的に実績になるし、嬉しいですよ。しかし、本を出版するためには、もちろん、自費出版ではなく、商業出版に乗せるためには、出版屋と紙屋と印刷屋、そして、取次と書店を動かさなければならない。要するに、金が動く、金が掛かるのである。生半可な実力では無理である。「そろそろ、覚悟をするときかな、艦長!1

文学を書くとは畢竟、小説を書くことである。しかし、この頃の私は小説を書くことはおろか、碌に小説を読んでいない。近頃の私の関心は専ら政治学にあり、しかも専攻は政治哲学だと自覚するに至っている。この事実は否定することはできないし、むしろ、尊重しなければならない。しかし、個人事業主の文士として独立するためには金を稼がなければならない。そのためには小説を書かなければならない。

白状してしまうと、私は今まで小説を書きたい気持はあったのに、小説の研究を怠ってきた。けれども、生まれつき飽きっぽい、気移りしやすい性格のために、あるいは幅広い関心のために、小説を含めた文学の書き方はなんとなく理解してきた。特に短歌は数年にわたり習作をしてきたから、俳句、詩などの詩歌にかけては、すぐに実作することができる。評論、評伝も苦労しながら書くことができる。随筆は今まさに書いている。しかし、問題は小説とルポルタージュで、これを執筆するためには、用意周到な企画、捨て身の取材、そして、最後まで書き上げる力業が必要なのである。

税務署に提出する開業届の職業欄には「文士」と書くが、本当に金を稼ぐためには「小説家」にならなければならない。しかし、戦前、文士という呼称には小説家も含んでいた。今から、本屋に、図書館に出かけて、文芸誌を手に取って、小説の研究をしよう。そして、小説を書こう。準備万端。あとは書くだけだ。


  1. 機動戦士Vガンダム』第50話「憎しみが呼ぶ対決」。ジン・ジャハナムの台詞。

僕たちはいかに書くか

このブログの方向性について悩んでいる。いや、実際には悩んでいなくて、ブログに何を書くべきで、何を書かざるべきか逡巡しているのだ。

最近、業務委託のライターの仕事を探し始めていて、応募する際にポートフォーリオとして、このブログを案内するのだけれど、あまりに内容がお粗末だと思う。読んだ、飲んだ、吸った、病んだ、祈った、etc……。ブログのタイトルが『BOOKMAN』なのだから、大人しく書評ブログを書いていればよいのだが、それでは問屋が卸さないのだ。

ブログではなるべく、私生活プライヴァシーを極端に排した文章を書きたいと思うけど、私性プライヴェートを極端に排除した文章は面白みに欠ける。無個性な、のっぺらぼうな文章は読んでいて白けてしまう。人が文章を読む動機には醜聞ゴシップ的な要素が必ずあって、そこには人間に対する興味、人間に対する愛が惜しみなく、憚ることなく、注がれているのだ。「文は人なり」という格言は世間の常識であると同時に文学の原則である。

結局、このブログでは書評を中心に、お上品にコツコツ書いていくのだろう。しかし、その間に今までどおり、日記、ルポルタージュのような実生活を大胆に曝すような記事も上げていきたい。いずれにせよ、ガンガン読んで書きガンガン続けるしかないのだ。

介護ライター事始

介護ライターの求人に応募した(「介護系ライター」ではなく、「介護ライター」とあえて書く)。実際に仕事を貰えるかは分からないが、来年、暇を持て余すのは嫌なので、どしどし応募していく。ランサーズ、クラウドワークスなどのポータルサイトにも登録しよう。

私のような中年になると、個人的にも社会的にも、完全に新しいことを始めるのは難しくて、今までの経歴を生かしながら徐々に仕事の幅を拡げていくしかない。敗北を認めると同時に戦争の継続を宣言する。一歩前進二歩後退しつつ、局地戦で勝利を収めていく。過去の経験を生かしつつ、新規の経験を獲得していくのだ。

ジェイムズ・ジョイスは言った。「君の伝統を大切にしたまえ」

介護について、福祉について書いていれば、いずれ、政治について書く機会チャンスがあるだろう。今の現実に失望することなく、今できることを始めよう。

経験という名のデモン

政治学は経験科学である。これは古代ギリシアの時代、アリストテレスの頃から言われていることで、本を読み、頭の中で論理的に考え出すことよりも先に、現実の政治をつぶさに観察しなければならないということである。

学者にも二つのタイプがある。書斎派と路上派である。書斎派は文字通り、そこに閉じこもって学識を深めるのに対し、路上派はそこに行き交う人々に取材して知見を得る。どちらが優れているという訳ではない。しかし、最後に断片的な情報を総合するのは、その人自身の経験である。南原繁は「政治学に先生はない。……おのがデモンに聞け1」と言った。経験とはデーモンのように、善悪をないまぜにした、言葉にしがたい、欲望、希望のようなものだろう。ソクラテスを引いて、魂と言い換えてもいいかもしれないけれど、やはり、それとは本質的に違うような気がする。

本書の主人公は南原繁である。私は最近、集中的に彼の書いたものを読んでいる。そして、並行して伝記的事実を調べていると、『おのがデモンに聞け』に逢着した。本書は戦前、戦後に生きた5人の政治学者の評伝として読めるし、また、日本政治学の研究書としても読める。著者の都築勉さんは、現代の政治学者としては異色で、文体スタイルにおいても楽しませてくれる。丸山眞男の薫陶を受けて、政治学を志した人だから当然かもしれない。

読後、現代の政治学者が忘失したもの、政治学に失われたものを思わざるをえなかった。それは南原繁に即せば、理想、と言えるかもしれない。


  1. 都築勉『おのがデモンに聞け』(吉田書店、2021年)343頁。

WikiWiki

Wikipedia南原繁の項目を編集(訂正)した。

ja.wikipedia.org

訂正箇所は南原が学生時代に所属していたキリスト教団体 白雨会に関する記述で、写真のキャプションが「前列中央は内村鑑三、南原は前列左」と書かれていたのを、「南原は前列右」と訂正した。最初見たとき違和感を感じて「この人、誰だ?」と思ったが、写真は正しく、文章が間違っていたのだ。私の直観は正しかった訳だ。なお、訂正にあたって参照したのは、加藤節『南原繁:近代日本と知識人』(岩波書店岩波新書、1997年)47頁。

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白雨会送別会(1917年)、前列中央は内村鑑三、南原は前列右

Wikipedia南原繁のページ自体も、略年譜のみで、伝記としてまとまった記述がないので、今後、南原繁の研究を進めるにつれて、私自身が書き直そうと思う。すでにアカウントを取得しているので、あとはMediaWikiの記法を習得すれば気軽に編集できる。寄付で運営されているWikipediaに寄稿しても、原稿料は出ないけれど、ブログ以外にインターネット上で活動する場を見つけて少し愉しみを覚えた。

variable Identity

27日夜、大学時代の政治学の恩師・浪岡新太郎先生と池袋で再会した。当時のゼミ生と、年収はいくらだの、恋愛しているか、結婚する見込みはあるかなど、しばし通俗的な話題に終始したあと、ふと、会話中に「アイデンティティ」という言葉が飛び出した。先生はハイボールで喉を湿らせると言った。

アイデンティティは大事だよ。僕もつねに自分が何者なのか考えている」

たとえば、開高健は著書の中で、自身のことを次のように定義している。

  • 小説家
  • 作家
  • 記者
  • ライター
  • ドキュメンタリスト
  • 釣師

芥川賞を受賞し、日本文学に不滅の軌跡を遺した作家でも、このように自己の認識、定義が揺れ動くのである。しかし、彼は本業はあくまでも小説家だと思っていたが、戦争、釣りなどに取材して、ルポルタージュを書くときは、自身の職業を記者と見なしていた。両者の職業に貴賤はないけれど、虚構(Fiction)にもとづいて書く小説家を虚業、事実(Fact)にもとづいて書く記者を実業と考えていたふしがある。

さて、それでは私は何者なのだろうか。文士(Writer, Journalist, Documentalist, Bookman)の才能があると思うが、これが本当にものになるのだろうか、今後の努力次第である。畢竟、私は編集者(Editor)ではなくて、作家(Author, Writer)になりたいのだろう。しかし、一方、大学、大学院で、政治学(Politics)を勉強していたので、私は政治学者(Politician1)なのではないか、という自負がある。少年の頃に抱いた、政治(Politics)の道に進みたい、政治家(Politician)になりたい、という希望は今も生きているのである。高校時代の恩師は私のことを、面白半分に「インチキ政治家」と呼んだ。そこに一抹の真理がある。


  1. 普通、現代の政治学者の訳語はPolitical scientistだが、この用例は近代の社会科学の要件に従っている。一方、『斎藤和英大辞典』のように政治学者の訳語にPoliticianを当てる場合がある。現代では普通、政治家と訳されるが、最良の政治学者は最良の政治家である、と見なすプラトンの伝統に従っていると思われる。Economistを経済人、経済学者と訳す感覚に近い。

病中の天職

内村鑑三について論じるには、私はまだ勉強が足りない。彼の無教会主義は信条的、学問的に反発を覚えるが、この立場を理解し、克服するに至っていない。文士ジャーナリストとしての彼の生き方を尊敬するが、その文体は冗長で、著者自身の意図せざる美文である(福沢諭吉の方が遥かに簡潔で読みやすい)。しかし、それでも寸鉄のように心に突き刺さる一文がある。

汝神を有すまた何をか要せん。

不治の病怖るるに足らず、回復の望なお存するあり、これに耐ゆるなぐさめと快楽あり、生命いのちに勝る宝と希望のぞみとを汝の有するあり、また病中の天職あるあり、汝は絶望すべきにあらざるなり1


  1. 内村鑑三『基督信徒のなぐさめ』岩波書店岩波文庫、1939年、101頁。強調は筆者による。