微睡の後に

睡眠不足である。この1ヶ月くらい、約3時間睡眠で稼働している。布団に入ると寝落ちしてしまうので、入眠は問題ないが、夜半、目を覚ましてしまうのである。その後は夢うつつ微睡んでいる。中途覚醒である。

先日、躁鬱病の基本薬である抗精神病薬が無くなりそうだったので、半年ぶりに精神科を受診した。私が不眠を訴えると、先生は「依存性の少ない、マイルドな睡眠薬を処方しましょう」と、デエビゴ 6mgを頓用として処方してくれた。これで万事解決かと思いきや、私は今日に至るまで、この薬剤を服用していない。睡眠薬と酒の飲み合わせを忌避しているからだ。それなら、酒を飲むのを控えればいいではないかということになるが、それでは酒屋が卸さない。夜のウイスキー・タイムは私の生活の一部になっているし、社交と飲酒は私の人生に欠くべからざるものである。では、私に睡眠薬は不要なのだろうか? 否。週1、2回は休肝日を設けて、その夜に睡眠薬を服用すればいいだろう。長く、深く眠ることで、心身を休息できることを期待している。人生に平和は少ないのだ。これからも錠剤タブレットを護符にして生きる日々が続きそうである。

今日の昼下がり、金町駅前の太陽堂書店から、注文した本3点を入荷したと電話を受ける。実は今月頭に、図書館の『吉行淳之介全集 第2巻』の頁にコーヒーをこぼしてしまい、弁償に相なったのだ。上記の本はすでに絶版になっているので、図書館から違う本の購入を指示された。とまれ、図書館の全集に穴を空けてしまったことは心苦しいが、汚損した本をこちらで引き取ることができる。『全集 第2巻』には「鳥獣虫魚」が収録されている。これは名作、思い出深い短編である。結果として、私の手元に残ることになったのも、何かの縁だと思いたい。

さ、筋トレして目を覚まして、自転車に乗って金町まで行きますか。

A Empty Holiday

何の予定もない休日。幾日ぶりだろうか。外出は近所の自動販売機でペプシ・コーラを買うことと、最寄の郵便局にハガキを出すことくらいである。

『朝日新聞』誌上の「朝日歌壇」に投稿した。官製ハガキに万年筆で清書すると、厳粛な、清々しい気分になる。新聞歌壇の当選、落選に一々一喜一憂しないけれど、私は『朝日新聞』『東京新聞』『日本経済新聞』の三紙を購読しているので、読者のよしみで、気が向いた時に投稿したい。新聞歌壇といえど、選者に作品を見い出された時、茫漠たる宇宙の中の一抹の理解者に掬われた気持ちになる。この経験は大切である。

とはいえ、新聞歌壇は総じて程度が低い。低俗である。修辞レトリックは稚拙だし、内容も毒にも薬にもならないものが多い。一般市民のレベルはこの位のものなのかと痛感させられる。100年前のアマチュア歌人達の方が遥かに水準が高かったのではないか。文化ないし文学に関して言えば、日本人は進歩していない。むしろ退化していると思わざるをえない。文化の起源は耕作と筆耕にある。文字が文化を作るのだ。ゆえに、文化は厳しい修練の産物である。閑話休題——。甘い所はあったが、新聞歌壇に比べれば、私が以前所属していた結社誌『塔』の方が遥かに水準が高かった。結社ソサイエティが独自の文化カルチャーを形成することも納得させられる。けれども、私は『塔』には、結社には戻らない。たくさんの人々が非才の私に目を掛けてくれたにもかかわらず。新聞歌壇で腕試しをしたら、総合誌『短歌』『短歌研究』などで、連作を発表するように努力するしかないだろう。これでも一応、フリーライターなのだ。私の中にはやみがたい無教会派の気質がある。

南原繁『政治哲学序説』を読む。この人は政治学者/政治哲学者だけど、レフ・トルストイや、ステファン・ゲオルゲの思想を、政治思想/政治哲学として真面目に検討するなど、文学に対し、関心と造詣が深いのである。南原には、一般に文学など、政治現象として見なされない文化事象に対し、政治の萌芽を見つけ出す眼力がある。しかもそれが、現代の社会理論、文芸理論を学習した連中よりも、遥かに自然にできるのである。戦前の大正教養主義の只中で知的形成を遂げた人々の凄さはこの辺にある。

近代短歌は発展と衰退の途上にある。私は現代短歌の口語的、日常的表現に馴染みきることができない。頽落した日常生活の虚偽の意識を、芸術の真実の世界に持ち込むことは許されない。私は戦前/戦中/戦後に回帰したい。次は近藤芳美に移ろう。

言葉の凝集力

とりあえずブログを毎日更新してみたが、文章の密度が明らかに低下した。文章に凝集力がない。普段、机の前で刻苦呻吟しているのは、この圧力を高めているのだと分かった。

「文学的」というのはそもそもどういう意味だろうか。文体スタイルに遊ぶ。修辞レトリックに遊ぶ。虚構フィクションに遊ぶ。いろいろな側面があるだろう。しかし、事務的な文章、新聞記事的な文章との決定的な違いは、なるべく複雑にすること、解釈の余地を拡げること、それによって、文章に含蓄を持たせる、深度を深くするのだろう。

文学を書くためには、独特の思考様式、心理状態が求められる。芸術と病気、就中、文学と病気の関連が認められるのはそのためである。短歌を書いていると分かるが、日常的、口語的な言語の慣習から外れた韻文を書くためには、ある種の憑依、トランス状態が必要である。日野啓三はそれを『書くことの秘儀』と言った。

職員休憩室

今夜は友人とドライブに行くので、会社の休憩時間中にブログを書いている。

「会社」と言ったが、私の勤務先は株式会社ではない。社会福祉法人である。「会社」と言う感じはあまりなく、「施設」ないし「事業所」という感覚に近い。経営者も、この組織を「法人」と呼んでいる。労働者も「社員」ではなく「職員」と呼ばれる。私達は「入社」ではなく「入職」してきたのだ。

この法人に入って以来、私/私達は休憩室で食事を取っている。時間の制約があるためか、それとも、ただ億劫なためか、外食に行くことはほとんどない。社員食堂はあるにはあるが、足立区の事業所から松戸市のそれに異動してからは、それもないので、今ではカップラーメンとおむすび(あるいはパン)が、出勤日の私の主な昼食である。

「粗食」と呼ぶにはあまりにも貧しい。或る労働者階級の食事である。

総武線の席に坐りて

最近「ブログを書いていないじゃないか」というお叱りを頂く。

実際の所、ブログだけではなく、今、書いているものと言えば、短歌と日記、そして、こまごまとした文章くらいで、総じて生産量は低い。

ブログが収益にならないことを知ってしまったから、モチベーションを喪失したのではないか。確かにそれは一理あるかもしれないけれども、本当の問題は実生活の方にある。酒の飲みすぎである。しかも、なお悪いことに飲み歩いているから、書けない/書かないのではないか。中年に足を踏み入れるにつれて、私も巷間の悪習を身に着けてしまったのかもしれない。酒場通いは最近自粛しているけれども、それでも家では仕事と勉強を放擲して飲酒するのだから、酒に溺れているのである。仮に一抹の弁解の余地があるとすれば、近頃は不眠症が昂じて、体調不良が続いていたけれども、これはまたの機会に書く。

今、横浜から小岩までの帰路、総武線普通電車の座席に坐りながら、脚の上にノートパソコンを置いて、この原稿を書いている。この体勢、案外楽に書けるものだ。これからは気軽にノートパソコンを持ち歩いて、暇さえあれば原稿のライト、リライトをしていきたい。時間と場所にこだわらない。総生産量を上げるのだ。

予め原稿を書き溜めておく。この日より、当ブログは毎日更新する。

当世学生気質

10年ぶりに母校の講義と演習ゼミナールに参加した。

講師は明治学院大学 国際学部の浪岡新太郎教授。先生は私達が大学1年生の時に立教大学の助教1を務めていらっしゃった。その後、外務省の勤務を経て、前記の大学に就職された。私の政治学の恩師の一人である。

私が出席した講義は〈グローバル社会での平和構築〉。全学共通カリキュラムという、昔の一般教養課程に相当するもので、受講者の大半は1、2年生だ。そこに35歳のオジサンが交っているのだから苦笑してしまう。

実際に講義に参加して驚いたことがふたつある。

一、学生が真面目である。授業中、皆、静かに講義を聴いていて、私語をする人、居眠りをする人はほとんどいない。私が学生の頃はそれと真逆の態度で講義に臨んでいたので、本当に先生達を困らせた。自分も含めて当時の学生は、高度経済成長を経てバブル経済で頂点に達した、レジャーランド化した大学のイメージを引きずっていたのかもしれない。私達の置かれた環境は本当はもっと過酷だったにもかかわらず——現実認識が甘かったのだ。それに比べると、現代の学生はもっとちゃんとしている。時間と学費を掛けた丈、学ぼうとする意欲がある。自分達の住む世界は生易しくないという事実を、感覚的に、学問的に理解しているのかもしれない。

二、パソコンが普及している。実に三分の一以上の学生がパソコンでノートテイクをしていた。これは驚いた。講義の風景が違うのである。私達が学生の頃は、1人、2人のモノ好きがタイピングの音が響かぬよう、教室の片隅でカタカタいじっていた程度である。隔世の感がある。初等教育だけではない、高等教育、ことに大学においても、マイクロソフトとアップルの営業戦略は奏功した訳だ。それはさておき、私は断然手書き派である。第一、私のタイピングの打鍵音はうるさいので、周囲に迷惑をかける。しかし、それ以上に、人はデバイスを操る(遊ぶ)ことに夢中になって、講義に集中できないのではないか? 人の話を画面越しに聴くのは難しいのではないか? と、老婆心に似た余計なことを考えながら、私は緑の手帳〈野帳〉に鉛筆でメモを取っていた。これは新聞屋でライターをしていた頃から続く、私の昔気質のスタイルだ。

自分が歳を取ったこと、しかし、晩学の楽しみを噛みしめつつ、ゼミの終了後、先生と私と学友は池袋のふくろで乾杯したのであった。

tabelog.com


  1. 昔の助手のような地位。テニュアではない、任期付きの職位。

荒野へ

なんぢら人を避け、寂しき處に、いざ来りて暫しいこへ。
——『マルコ傳福音書』第6章31節

短歌は上達している。言い換えれば、短歌しか書いていない。

『作歌のヒント』で永田和宏が言うように、短歌の上達のヒントは、一般的に短歌の結社に入ることだと言われている。結社に入れば、定期的に歌会に参加し、批評し合い表現を磨き、作品発表の場として結社誌(同人誌)を発行し、自分以外の同時代の他人の作品を知ることができる。なによりも有難いのは、適宜、飲み会を開催することで、アルコールと社交ソサイエティの相互作用で、適度に孤独を癒してくれることだ。しかし、作品を書いている時は誰でも一人だ。孤独は——人間は皆、原罪と神聖を宿しているように——作家に平等に課せられた重荷である。作家の成長の要諦は、孤独の重みに耐える体力を養うことにある。

以前の私は社交が文学を加速させると考えていた。短歌の結社に入ったのもそのためだし、懇意にしている喫茶店の文学カフェにも顔を出していた。しかし、社交は文学のポジにすぎない。本当に大切なのは孤独と言うネガである。世界はポジとネガが交錯してできている。両者は車の両輪のごとく、相互に成長することによって、作品と世界は豊かになる。しかし、作家の個性を養うのは圧倒的にネガの方である。ポジに振れると、人は無個性になる。のっぺらぼうになる。ハイデガーが『存在と時間』の中で、公共性エッフェントリヒケイトの病理を指摘したように。

今後は結社誌に掲載された作品をお義理に読むことも少なくなるだろう。かつての私はそうして勉強することによって、一言二言、お世辞を、気の利いたことを言うことが、文学共和国を建設すると考えていた。確かにそれは正しい。しかし、今の私は共和主義者ではない。民主主義者には違いないけど、暫定的に浪漫主義者としておく。以後の私は古典を中心に選りすぐりの作品を読んでいく。安易に現代の口語短歌にはなびかない。格調高い文語の形式を遵守していく。私は形式主義者フォルマリストだ。傲慢な考えかもしれないが、結局、これ以外に作品を良くする方法はないのだ。いいものを書きたい。今はそのために努力を傾けるべき時である。

政治学者/歌人 南原繁が処女作『国家と宗教』を上梓した時の一首。

かそかなるふみにしあれどわが心うちに嘆きて書きにけるもの1


  1. 南原繁『形相』(岩波書店、岩波文庫、1984年)156頁。