市民社会を超えて

『山谷の基督』を書くために、思想(理論)的な背景を補強したくて、市民社会に関するテキストをいくつか読んでいる。

市民社会(civil society)は、国家(state)ないし政府(goverment)と区別される概念である。それは国家の支配の対象として管理統制されることが常であるが、逆に国会の支配に対抗して組織され、立ち現れる場合がある。近代において、国家と社会の区別は、アダム・スミスによって、商業社会(commercial society)として初めて定義された。その思想的由来として、自由主義の系譜に基づくものである。その後、ゲオルク・ヘーゲルによって、市民社会(bürgerliche Gesellschaft)として、本格的に概念化された。保守主義者のヘーゲルは市民社会を「欲望の体系」として見た。市民社会は市民ないし商人(Bürger)の社会であり、人倫を完成させるためには、国家の普遍的階級たる官僚の支配に服すべきだとヘーゲルには思われた。その後、社会主義者のカール・マルクスは「欲望の体系」としての市民社会の概念を引き継いだが、ヘーゲルの哲学を転倒させた彼は市民社会を国家が消滅した後に来るべき社会主義が実現する場として考えた。さらに時代がくだると、フランクフルト学派のユルゲン・ハーバーマスは、東欧革命の成果を受けて、権威主義国家の支配に対抗する市民社会(Zivilgesellschaft)の概念を提唱した。

と、ざっと市民社会の概念の歴史を見てきたが、これらのことは、川原彰『市民社会の政治学』に書いてあることである。川原氏は私に政治学の薫陶を呉れた先生で、ゆえに私も市民社会派の政治学徒であり、それは今も続いているのだが、近頃の私は市民社会から一定の距離を置いている。理由は次のとおりである。

世俗的でない

英語の"civil"という言葉には「世俗の」という意味がある。私は俗物には違いないが、その志は世俗に向いていない。基督社会(cristian society)すなわち教会は霊的な共同体なので、世俗的な市民社会とは一線を画す。国家教会主義を採るイングランドのような国の場合、両者は重なり、相補的であるが、本来、地の国と神の国は対立関係にある。キリスト者にとって、前者は後者によって乗り超えられるべき対象である。

市民的でない

市民社会の構成員メンバーは文字どおり市民である。彼等は健康と財産と余暇と教養がある人々のことである。ヘーゲルの見方を引き摺っているではないかと言われそうだが、基本的に私は市民社会をこんなふうに見ている。現に私は市民の感覚に乏しい。それは劣悪な労働環境がそうさせたのかもしれないが、必ずしもそうとだけ言い切れない側面がある。私の職場の同僚に市民などほとんどいなかった。彼等は貧乏で、時間と教養がなく、健康を蝕まれていた。私は大学を卒業して以来、下層社会(lower class)に生きている。市民とは畢竟資本家ではないか。それが実社会のリアルである。


以上、私の市民社会に対する違和感を整理してみた。私はこの記事を書く前は、先生の市民社会論を超えられないのではないか、私はいつまでもお釈迦様の掌で泳ぐ孫悟空の如き者ではないかと思っていたが、案外そうでもない、いい線を行けるのではないかと思い直した。アリストテレスは政治学を「経験の学」と言った。この10年の私の経験は無駄ではなかったようだ。

あるいは上手く作られた不幸

ストレスが溜まると、むしょうに二郎系ラーメンを食べたくなる。幸いにして、竹ノ塚駅周辺には2軒の二郎の亜流の店舗があるので、いらいらのはけ口に困ることはない。しかし、「はけ口」と書いたが、吐くのではなく、むしろ食うことによって、胃に食物を溜め込むことによって、ストレスを解消するというのは面白い。これは健常者にも普通に見られるが、躁鬱病者に特に顕著に見られる。開高健なんて食いまくっているではないか1。あるいは逆に、吐くことによってストレスを解消するようになると、拒食症まっしぐらなので、くれぐれもしないように。

嘆かわしいことに、今勤めている職場から得られるものは金以外なにもない。しかし、その肝心の金でさえ心もとないのだから辟易してしまう。知識と技術と友人を求めて、転職するのだ。金銭は後から付いてくる。今度こそ、福祉という名の鉄の檻から脱出するのだ。——と、福祉を悪しざまに書いたが、今度の転職は最低でも、就労支援員を目指そう。現行の介護福祉士の資格が評価されるし、何よりも土日祝日なのが嬉しい。もちろん、夜勤もない。精神保健福祉士の資格も取りやすいはずだ。——とはいえ、第一志望は出版社、制作会社のライターである。狭き門であるが、とにかく叩いてみる。門戸を閉ざされたら、そのとき考えよう。

辻邦生の小説に『雲の宴』というものがある。主人公の一人、三上敦子は大学卒業後、某企業の秘書として勤めながら、本来の志望である、出版業界への転職を虎視眈々と狙っていた。その導き手になるのは、もう一人の主人公にして、彼女の親友、フリーランスの編集者である白木冴子であった。——。

私の方が環境も条件も遥かに悪いではないか、と思ってしまうが、視点を少しずらして見ると、案外そうでもない。

第一、私は出版社、編集者の影響をいったん離れないと、みずから文章を書くことができなかった。本質を、本物を知りぬいている先輩編集者を前にして、私はすくみ上って、一文字も書くことができなかった。私は一度、荒野に出て、そこで言葉を拾わなければならなかった。文体を作るということは、そういうことである。

第二、大企業の事務職を勤めていると、Microsoft Office 就中 Wordの使用を押し付けられる。これは出版社の編集室でも事情は変わることなく、この業界のデフェクト・スタンダードはWordとInDesignである。そんなもので、執筆、組版させられると思うとゾッとする。私の商売道具は、KateLaTeXである。プログラマと数学者が好んで使うソフトウェアで、ソースコードを書き、コンパイルすることで、版下原稿になるPDFファイルを生成する。私はこのソフトウェアを使うことで、本格的にコンピュータの使い方を覚えた。ターミナルで操作できるようになった。その点、私のコンピューティングの基礎はライティングと軌を一にしている。いずれも出版社を離れて独学で覚えたものだ。

中村真一郎の小説に『雲のゆき来』というものがある。確か副題が、「あるいは上手く作られた不幸」だったような気がするが、手元に原本がないので確かめようがない。しかし、人は不幸を知ることで、ようやく書くことを覚えるのは確かなことのように思える。そして、同時にその人は幸福を知らなければ仕舞まで書くことはできない。リルケは言った。「幸福を知らなければ神を見い出すことはできない」。不幸は幸福の契機である。真ちゃんの箴言はその逆説をユーモラスに表現している。それはまるで、最初から何者かに仕組まれたかのようである。


  1. 単極性の鬱病者だとストレスを感じると、かえって食欲を喪失することが多い。

reine Nacht

早番の勤務つとめから帰宅したあと、21時まで仮眠を取る。その後、近くのコンビニに行き、煙草を買う。銘柄はPeace Lights.近頃は紙巻シガレットを辞めて、パイプ一本にしようとしていたが、私はすでに、あの手軽で、焦げ臭く、軽やかな煙の虜になっていたのだ。Zippoのパイプ用オイルライターで火を着ける。デスクライトが煌々と光る4畳半の暗室に、甘き苦き煙が悠々と流れていく。脈拍が上がる。戦闘開始。私は紙巻と和解した。

夜勤を辞めたというのに、私がライターとして仕事と勉強をする時間は日没後と日出前に集中している気がする。実の私は夜という時間が心底好きなのかもしれない。昼間、家に居る時も、雨戸を閉め切って、読書をしていることが多い。目に悪いじゃないか、あるいは鬱病の症状の一つではないか、と言われたりもするが、その方が安心、集中できるのだ。思えば、私は平和な夜を奪還するために会社の夜勤を辞めたのではないだろうか。己の純粋な時間を獲得すること。それもまた、真実の自分に還る方法のひとつである。すると、私は相当狷介な性格の持主なのかもしれないが、本当の自分なんて、案外そんなものである。

書いたもの勝ち

『山谷の基督』を書き始めた。取材した内容を書くというよりも、私が山谷のドヤに泊まり、酒場で飲み、教会で炊き出しをした経験を書くという感じだ。記者としては失格だが、文士としては合格だろう。この方向で書き続ければいい。

介護を本当に辞めたければ、転職するのではなく、文筆一本で生活すればいい。そのためには作家にならなければならない。小説を書き、文学賞に応募するのだ。『山谷の基督』は改稿して、開高健ノンフィクション賞に応募してもいいだろう。政治と宗教の問題ならば、評論として記すこともできるはずだ。自身の政治学と文学の知見を存分に発揮したい。とにかく書き続けること。書いたもの勝ちである。

最近、不眠が続いているので、今夜は睡眠薬を飲もうと思ったが、今一度考え直してワインを飲むことにする。酒と睡眠薬と書くと、まるで戦後の無頼派のように聞こえるが、多分、私も彼等のように生きるだろう。

狭き門

湿度は高いが気持のいい朝。けれども、少々気の滅入る出来事があったので、呆然自失してコーヒーを飲んでいる。

訪問介護からは遅くとも年内に手を引こうと思う。10月からは施設の仕事も週5日に増やすし、忙しい合間を縫って、買物代行で小銭を稼ぐ必要はないのだ。休日は転職活動ないし創作活動に打ち込んだ方が経済的な効率もいい。

もう、やりがいのない仕事を続ける必要はない。そういうことを二つ返事で引き受けて、歯を食いしばって働くのが大人だ、という見方があるが、私はそれは正しくないと思う。人は成熟するにつれて、自分にふさわしくない、無意味な仕事を手放していく。厭わしく、汚らしく、退屈な労働でも、それを忍耐して続けていれば見えるものがある、と大人は言うが(むしろ経営者と言うべきか)、人は労働の無意味を自覚すればそれで十分である。あとは進んでやる必要はないのだ。私には無意味なこと、無価値なことを敢えて行うのは罪深いことだと思われる。それは神の御心に適っていない。少なくとも自分を大切にしていない。ペテロは漁網すなどりあみを棄てて、イエスに付き従ったではないか。

"Eigentlichkeit"というドイツ語の言葉がある。「固有性」「本来性」というふうに訳す。ハイデガーの実存哲学の中心的な概念だ。人は世間と世事の無価値を自覚した時、本来の自分に還っていく。結局、彼は世界の虚無、人間事象の虚無をことごとく見抜いていたんだと思う。そういう人はこの世に生きるのが難しくなるが、彼にはまだ狭き門が残されているのだ。

働けども働けども

昨夜はバー1軒、スナック1軒をはしごした。愚行と言えばそれまでだが、たまにはこれぐらいの遊びをしてもいいだろう。むしろ、了見を拡げるためにするべきだと私は思う。私にこれしきの放蕩をためらわせる状況が異常なのだ。

私は今、貧困のスパイラルに陥っている。働いても働いても全然生活が楽にならない。だいたい介護の仕事を始めてから、貯蓄は増えないし、生活は崩壊するしで、あまりいいことがない。良かったことと言えば、肉体労働に従事したことで、躁鬱病が寛解したことだ(完治はしていないけれど)。

私が懇意にしている同僚の一人は介護の仕事に真摯に向き合っている。その姿勢は素晴らしいし、周囲に認められてしかるべきだが、私は彼のようにできない。私もこの仕事をなるべく上品にやりたいと思うし、それは大方成功しているが(同僚の多くはもっと粗野だ)、それでもこの仕事に身が入らない、心のどこかで虚しさを感じる。その原因の一つは給料が安すぎることだ。三十過ぎの働きざかりの男がやる仕事ではないと思う。身過ぎ世過ぎと割り切っても、このままでは肝心の渡世ができないのだ。

今後、出版業界に復帰するために、最大限の努力を傾けたい。

下町の分断

約1ヶ月ぶりに山谷の炊き出しに行く。9時に現地に着くと、野菜の皮むきと切り込みはすでに終わっていた。今日は浅草聖ヨハネ教会の聖公会の信徒と、聖心女学院のOG、聖路加国際大学の看護学生がボランティアに来ていた。炊き出しの面白い所は、その活動の母体はカトリックの修道院であるにも関わらず、アングリカンなど他の宗派の信徒や、ノンクリスチャンの学生などを巻き込んでいるなど、参加の間口が非常に広いということだ。世間一般の理解では宗教とその信徒からなる教会は閉鎖的なイメージがあるが、けっしてそうではなく、市民に活動の正当性が認められれば、その社会に広く開かれているのだ。この点も、ロバート・パットナムとデヴィッド・キャンベルの『アメリカの恩寵』が描いている。言い換えれば、私は彼らの認識の範疇から逃れられないのである。

11時からはカレーライスを満載にした自転車に乗って、東浅草と浅草に住む路上生活者(ホームレス)に配達に出かけた。炊き出しの会場に来れない人々にも対応するためだ。私達は隅田公園を中心に個別に訪問して、体調の聞き取りなどをおこないながら、弁当と麦茶、菓子とマスクを配っていった。このような活動を一般的な福祉の用語ではアウトリーチと言うが、路上生活者の生活に直接触れることがあり、私のようなライターを業としている者からすると、フィールドワークの趣きがある。隅田公園には空缶など資源ごみの回収で生計を立てながらテントで寝泊りをする人もいれば、まったく生計の手段がなく、ベンチまたは地面に坐りこんで、呆然として一日を過ごす人もいる。その横をおしゃれなスポーツウェアを身にまとったファンランナーが通り過ぎていく。これが今の下町 浅草の現実である。

『山谷の基督』をどのような文体で書こうか考えている。論文のような生硬な文体にしようか、それともルポルタージュのような、人々の声が聞こえてくる、柔和な文体にしようか。後者の方が私の資質に適っていると思うが、どうだろうか? とまれ、手を動かして、何度も書き直して考えるしかないのだ。