The Matter is Pride

昨夜は遅番。軽微なミスが1件。体力はあるが、力がない。要するにやる気がないのだ。介護の仕事に対してモチベーションが起こらない。利用者からの大衆的な人気を博しているが、それは介護とは別の現象である。

持病を含めて様々な理由で、介護の仕事から徐々に離れているが、事の本質は至極単純である。老人介護に対して私の自尊心プライドが許さないのだ。あえて汚い言葉を使おう。徹夜で何人、何十人の老人のケツを拭き続ける作業に、己の自尊心を傷つけられぬ者などいない。入社1年目の夜勤、午前3時に排泄の仕事をしながら、私はこう考えたものだ。「私はこんなことをするために生れて来たのではない。私を産んでくれた父と母に済まないことをしている」と。

だから、高卒で介護施設に就職しても、すぐに辞めてしまう若者を私は非難しない。むしろ、心中、密かに応援しているくらいだ。人は若くして、人間とその社会の悪を目の当たりにするべきではない。誰もみずから悪に手を染める必要はないのだ。

福祉という美名のもとにたくさんの罪を犯せり弱き吾人は

麦酒と覚悟

夜半、目が覚める。思い出したように、冷凍庫に冷やしておいた、トスカーナ地方の白ワイン POGGIO AL SALE を飲む。清涼かつ淡麗。飲み方を工夫すれば、コンビニで買ってきた、600円相当のワインでも十分楽しめることを再確認した。

一昨日、歌会のあと口寂しくなって、小岩の居酒屋 菊乃屋のカウンターで瓶麦酒ビールを傾けていた時のことだ。もちろん、一人なので、飲んでいる間も、目は活字を追い、指は頁を捲っている。

その時、不意に得心する瞬間があった。それはこの先、文筆で闘い続けるには、腰を据えて勉強をしなければならない、という事実である。それは文学のみならず、ITなどの技術も含んでいた。

このブログは昨年の秋から毎日更新を努めてきたが、すでに書き慣れてきたことであるし、そろそろ不定期に更新してもいいのではないか、と思い始めた。

それでも更新は頻繁にするし、ライターとして毎日ハミガキをするように文章を綴るのは当然であるが、その時間と情熱を小説と短歌の創作に振り向けたいと思うようになった。今、そしてこれからも、私にできることは、客観的生活条件が変わっても、それでも腰を据えて、腹を括って、読み、書き続けることである。

東京よ 私は帰ってきた

東京よ、私は帰ってきた!
©Bandai Namco Filmworks Inc.

昨日は塔 東京歌会の新年初めての歌会があった。場所は新橋。私は立教学院諸聖徒礼拝堂の聖餐式の後に参加した。

私は約5年ぶりに歌会に参加した。塔の東京歌会は、以前は中央区の公民館で開催していたのだが、この頃は新橋に鞍替えしているようだ。

当時、私は派遣社員として築地の朝日新聞に勤めていたので、新橋は懐かしい場所である。当時はまだ飲み歩くことはしなかったけど、新橋の雑多な飲食街を歩いていると気持が高ぶる。それが一人ではなく、人々と一緒なのだから楽しくない筈がない。歌会には次の歌を提出した。

新春の流行病はやりやまいの癒ゆる頃パイプ煙草をひそと吸いにき

結句の助動詞「にき」が「(石川)啄木みたい」と評された。「たり」にした方がいいのではないか、という意見があったが、このままの方が味が出ているという意見があり、私もその意見がに同意する。

「パイプ煙草」の取り合わせがよろしい、と評価を受けた。紙巻煙草でもなく、電子タバコでもないので、風情があると言われた。「昔は皆、けっこうパイプ吸っていたよね。私の夫も嗜んでいたわよ」という声もあった。

「新春」の措辞が初々しくてよい、という声を頂いた。これは新春の初めての歌会なのでサービスのつもりで置いた。実際に『塔』に詠草を提出する時は、別の言葉に置き換えるつもりである。

総じて良い評価を受けた。幸先が佳いスタートを切った。流行病はやりやまいのために新年会はなく、皆、まっすぐ家に帰った。塔は社団法人なので、こういう所は厳しい。あと、久しぶりに参加して、けっこう市民的だな、と感じた。歌人うたびとは芸術家である。もっと強気で行っていい。

帰路、短歌を一首推敲する。歌会に参加したあと創作する。うんうん、いい循環サイクルだ。黄昏の新橋を歩きながら、私は一人呟いた。

東京よ、私は帰ってきた。

歌うたのしさ 読むよろこび

『塔』2023年1月号が届く。約5年ぶりの再会である。ちょうどその頃に任意団体から社団法人に組織変えしてからは、誌面づくりがいよいよ洗練されているように感じる。その発送用封筒には「歌うたのしさ 読むよろこび」と記されている。今後、全国の歌友たちとしのぎを削ると思うと身が引き締まる。今月の詠草の提出の〆切は20日。明日中に原稿を整理して郵送しよう。

とはいえ、私は近頃、短歌を含めて韻文を全然書いていない。一方、ルポルタージュなどの散文は気合を入れ直して、少しずつ稿を進めている。韻文と散文の間には矛盾、対立、緊張があるし、両立は想像以上に困難である。片方に専念した方が楽だろうし、私はどちらかというと歌よりも文の人なのだが(私は文人/文士という言葉に拘るのはこのためである)、両方続けた者にしか分からない恩恵めぐみがあるのは確かである。島地勝彦(編集者/バーマン)の「迷ったら、二つとも買え!」の金言に従うしかない。

活動家 アリョーシャ

悲しみのうちに幸せを求めよ。

——ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』

私がまだ大学院に居た頃のことである。ゼミで『カラマーゾフの兄弟』が話題になった。その時、先生はぽつんと言った。「続篇では、アリョーシャは皇帝を暗殺するかもしれない、という説があるね。兼子くんはこれからどうなるのか。楽しみにしているよ」

私がこの頃、聖公会の教会に通っていることを大学時代の友達に告げると、彼は次のように言った。「君はアリョーシャになりたいのか?」

『カラマーゾフの兄弟』を再読しているが、学生時代には読み飛ばしていた所にことごとくぶつかるようになった。気づかなかった所に気づくようになった。分からなかった所が分かるようになった。この10年の間に私の経験と思想が深化したのだろう。

ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』の末弟 アリョーシャを「活動家」として定義している。意外なことに修道士ではない。これはアリョーシャが世に出て、そこで働き、そこに生きる人々と交じわることを意味する。

活動家は本質的に現実主義者リアリストである。アリョーシャもまた現実主義者である。ドストエフスキーは真のキリスト者は真の現実主義者と見ていた。キリスト教徒はとかく理想主義者イデアリストに見られがちだが、彼にしてみれば、それは違うのである。ロシアの修行者は大地に接吻し、天上を仰ぎ見る。

アリョーシャに思想ないし理想はあるのだろうか。答えは然りである。作中、ミウーソフが公安刑事の次のような談話を紹介している。「われわれは実際のところ、アナーキストだの、無神論者だの、革命家だのという、あんな社会主義者たちをさほど恐れておらんのです。あの連中の動きは監視していますし、手口も知れていますからね。しかし、連中の中に、ごく少数ではあるものの、何人か特別なのがいるんです。それは神を信ずるキリスト教徒でありながら、同時に社会主義者でもあるという連中なんですよ。この連中をわれわれは恐れているんです。これは恐るべき人々ですよ! キリスト教徒の社会主義者は、無神論の社会主義者よりずっと恐ろしいものです」

キリスト教社会主義者。これがアリョーシャの将来の姿である。また作者ドストエフスキーその人の姿である。彼は若き日の社会主義の理想と、シベリア流刑後のキリスト教の信仰を堅く守り続けた。政治と宗教——彼の中でこの二つは分かちがたく結びついていた。ここにドストエフスキーという作家の創作の動機モチーフがある。

最初の質問に戻ろう。私はアリョーシャになりたいのか? 答えは然りアーメン。ゾシマ長老のアリョーシャへのはなむけの言葉に私は涙した。

お前のいるべき場所はここではないのだよ。これを肝に銘じておきなさい。私が神さまに召されたら、すぐに修道院を出るのだ。すっかり出てしまうのだよ。どうした? お前のいるべき場所は、当分ここにはないのだ。俗世での大きな修業のために、私が祝福してあげよう。お前はこれからまだ、たくさんの遍歴を重ねねばならぬ。〔…〕お前にはキリストがついておる。キリストをお守りするのだ。そうすればお前も守ってもらえるのだからの。お前は大きな悲しみを見ることだろうが、その悲しみの中で幸せになれるだろう。悲しみのうちに幸せを求めよ——これが私の遺言だ。

ワレ東京ニ帰投ス

塔短歌会の幹事の方に、詠草をメールで送った。1/15に新橋で歌会をするので、そこで議論の俎上に載せる一首を提出したのだ。

およそ5年ぶりの歌会への参加。かつての私は青白い顔をした文学青年だったが、今では血色のよい文士に変貌しようとしている。ようやく東京に帰投する思いだ。私にとって、職場の老人ホームがある伊興はついに東京にはなりえなかった。老人介護を離れて、歌人うたびとたちと、短歌と文学の話ができる。これに勝る喜びがあるだろうか。

山谷のルポルタージュを書かないと、転職活動ができないことに気づく。今月中に完成させること。

包丁を握る

普段、私はほとんど料理をしない。御飯を炊いて、納豆と卵をかけるだけである。

しかし、人と付き合って、その人が家に遊びに来るようになると、意外に料理をするのである。安上がりなのにたくさん食べられるのが動機としてあるが、その他に他人ひとの目を気にしないで済むというのが挙げられるだろう。わが家の酒棚バックバーには洋酒がふんだんにあるので、食前、食中、食後酒には事欠かない。昨晩は鳥鍋と鯨の刺身にドライ・ジンの取り合わせが非常に美味であった。ジンはボンベイである。ロンドンの下町の安酒に違いないが、水あるいは湯で割ると、日本酒の冷酒あるいは熱燗に負けないくらい和食に合うのである。もともと私は食は和食、酒は洋酒が好きなので、料理に合う酒を探求するのも乙であろう。私は無趣味な人間であるが、今後は料理を趣味にすれば、人生の後半を楽しく送れるかもしれない。

作家の嵐山光三郎は出版社を辞めて独立したが、その後、貧苦に攻め悩まされた。その怒り、憤り、悲しみを慰めてくれたのは料理だという。私は中年を過ぎて初めて包丁を握った。料理を食べる方にも事情があるが、作る方にも事情があるのだ。