宵待の平和

一昨年おととし頃から職場に馴染みきることができない。職場の同僚と融和することができないのだ。常勤から非常勤に降りて、別の仕事を始めようとしているから、会社と業界に見切をつけている意志は明白なので、当然なのだが、実際に行動に写す前からその萌芽は存在していたような気がする。私は結局、介護の仕事とその現場に親しむことができなかった。これが答えではないか。人は少しでも自分が活躍できる場所、安心できる場所で働くべきである。今回の転職活動はそれを探求する旅だと思うと、少しワクワクしないだろうか。私の居場所はどこにもない、どこに居ても異邦人である、と観念するのは簡単だけれども。

施設の仕事を終えて、帰路、コンビニでPeaceを買う。両切のショートではなく、フィルター付のキングサイズである。ソフトパックのベージュのPeaceである。

自宅の書斎で、雨戸で締め切って一喫する。私は煙草は広々とした屋外で吸うよりも、四畳半の密室で吸う方が好きなのだ。副流煙も含めて楽しめるのが、その理由として挙げられるが、私は煙草は隠れ家で吸いたいというのが最大の動機として挙げられるだろう。だから、職場の喫煙所にはほとんど行かない。同僚には私は非喫煙者に思われているが、その実、私は大の煙草の愛好家である。喫煙の文化と伝統も守りたいと思っている。ゆえに私は加熱式タバコには断固反対である。話が逸れた。結局、酒も煙草も家で飲むのが一番うまいのである。

Peaceは副流煙が美味い。甘く、丸味のある喫味なのである。やさぐれて、とげとげしくないのである。もちろん、私はもう少し辛く、刺激の強い煙草も好きだが、趣味として煙草を嗜むならば、こういう上等な銘柄は必ず知るべきだ。私はパイプの愛好者であり、この喫煙具に執しているから、最後はパイプ一本あればそれでいい。しかし、たとえ世界からすべての紙巻がなくなろうとも、Peaceだけは残してほしいものである。

宵待のPeaceに小さき火をつけて甘き煙はカウンターに満つ

Peace

溶けたタマネギ

一昨日、夕食にカレーを作った。材料は鶏肉、ニンジン、タマネギ。ルーはゴールデンカレーの甘口を使った。

大鍋に具材を入れて、30分ほど煮込むと、大まかに刻んだタマネギは概ね溶けてしまった。ニンジンは1袋(3本)を使用したので、鶏肉よりも存在が目立ち、結果として、チキンカレーというよりも、ニンジンカレーとなった。

素材ないし材料をいかに活かすか? その点、料理と文学は相通ずるものがあるが、私は文学に比べると、料理は繊細さに欠け、男の料理の域を出ることはない。生活において、読書、執筆、睡眠を優先しているので、食事は手早く済ませたいのだろう。それなりに栄養があり、満腹になればそれで良い。私は食事に関して、つべこべ言うのははしたないことだと思っているので、グルメではない。ただの大食漢である。その点、文学に対する気難しい、神経質な態度とは大きく違っている。

しかし、仕事と勉強の合間に包丁を持つのは、それなりに気分転換になるし、癒しにもなる。今年は創作と料理に励んで、再生の道を歩みましょうか。

シオンの女

腰が痛い。言葉ではいくら福祉と介護を蔑していても、実際に職場に来れば真面目に働くものだ。ただし、労働が激しい分、罪深さと虚しさが残る。潮時に変わりはない。

昨夜、シオンのむすめが来た。このむすめという言葉は便利で、むすめよりもう少しニュアンスに広がりのある言葉だ。おみなというたおやかな響きもいい。

お互い夕食は食べていたので、酒を嗜む。梅酒、葡萄酒、フレバード・ワインを少々。ウイスキーはやらなかった。彼女は煙草を吸わないので、私も吸わない。微酔より程よく酩酊して、気持よく眠ることができた。

アルコール依存症は孤独の病だ。患者はアルコールに対する嗜癖性を当然もっているが、彼の実存は孤立した状況に置かれている。彼は己の孤独に傷つき、倦んでいるのだ。しかして、アルコール依存症の治療には服薬し、規則正しい生活習慣を身に着けることに加えて、彼の孤立的状況を少しでも解消する必要がある。

シオンのむすめ——彼女は医者でも看護婦でもないが、彼女の存在は私にとって、慰謝そのものである。天然の妙薬のごとし。最低週1回の処方が望ましい。

The Matter is Pride

昨夜は遅番。軽微なミスが1件。体力はあるが、力がない。要するにやる気がないのだ。介護の仕事に対してモチベーションが起こらない。利用者からの大衆的な人気を博しているが、それは介護とは別の現象である。

持病を含めて様々な理由で、介護の仕事から徐々に離れているが、事の本質は至極単純である。老人介護に対して私の自尊心プライドが許さないのだ。あえて汚い言葉を使おう。徹夜で何人、何十人の老人のケツを拭き続ける作業に、己の自尊心を傷つけられぬ者などいない。入社1年目の夜勤、午前3時に排泄の仕事をしながら、私はこう考えたものだ。「私はこんなことをするために生れて来たのではない。私を産んでくれた父と母に済まないことをしている」と。

だから、高卒で介護施設に就職しても、すぐに辞めてしまう若者を私は非難しない。むしろ、心中、密かに応援しているくらいだ。人は若くして、人間とその社会の悪を目の当たりにするべきではない。誰もみずから悪に手を染める必要はないのだ。

福祉という美名のもとにたくさんの罪を犯せり弱き吾人は

麦酒と覚悟

夜半、目が覚める。思い出したように、冷凍庫に冷やしておいた、トスカーナ地方の白ワイン POGGIO AL SALE を飲む。清涼かつ淡麗。飲み方を工夫すれば、コンビニで買ってきた、600円相当のワインでも十分楽しめることを再確認した。

一昨日、歌会のあと口寂しくなって、小岩の居酒屋 菊乃屋のカウンターで瓶麦酒ビールを傾けていた時のことだ。もちろん、一人なので、飲んでいる間も、目は活字を追い、指は頁を捲っている。

その時、不意に得心する瞬間があった。それはこの先、文筆で闘い続けるには、腰を据えて勉強をしなければならない、という事実である。それは文学のみならず、ITなどの技術も含んでいた。

このブログは昨年の秋から毎日更新を努めてきたが、すでに書き慣れてきたことであるし、そろそろ不定期に更新してもいいのではないか、と思い始めた。

それでも更新は頻繁にするし、ライターとして毎日ハミガキをするように文章を綴るのは当然であるが、その時間と情熱を小説と短歌の創作に振り向けたいと思うようになった。今、そしてこれからも、私にできることは、客観的生活条件が変わっても、それでも腰を据えて、腹を括って、読み、書き続けることである。

東京よ 私は帰ってきた

東京よ、私は帰ってきた!
©Bandai Namco Filmworks Inc.

昨日は塔 東京歌会の新年初めての歌会があった。場所は新橋。私は立教学院諸聖徒礼拝堂の聖餐式の後に参加した。

私は約5年ぶりに歌会に参加した。塔の東京歌会は、以前は中央区の公民館で開催していたのだが、この頃は新橋に鞍替えしているようだ。

当時、私は派遣社員として築地の朝日新聞に勤めていたので、新橋は懐かしい場所である。当時はまだ飲み歩くことはしなかったけど、新橋の雑多な飲食街を歩いていると気持が高ぶる。それが一人ではなく、人々と一緒なのだから楽しくない筈がない。歌会には次の歌を提出した。

新春の流行病はやりやまいの癒ゆる頃パイプ煙草をひそと吸いにき

結句の助動詞「にき」が「(石川)啄木みたい」と評された。「たり」にした方がいいのではないか、という意見があったが、このままの方が味が出ているという意見があり、私もその意見がに同意する。

「パイプ煙草」の取り合わせがよろしい、と評価を受けた。紙巻煙草でもなく、電子タバコでもないので、風情があると言われた。「昔は皆、けっこうパイプ吸っていたよね。私の夫も嗜んでいたわよ」という声もあった。

「新春」の措辞が初々しくてよい、という声を頂いた。これは新春の初めての歌会なのでサービスのつもりで置いた。実際に『塔』に詠草を提出する時は、別の言葉に置き換えるつもりである。

総じて良い評価を受けた。幸先が佳いスタートを切った。流行病はやりやまいのために新年会はなく、皆、まっすぐ家に帰った。塔は社団法人なので、こういう所は厳しい。あと、久しぶりに参加して、けっこう市民的だな、と感じた。歌人うたびとは芸術家である。もっと強気で行っていい。

帰路、短歌を一首推敲する。歌会に参加したあと創作する。うんうん、いい循環サイクルだ。黄昏の新橋を歩きながら、私は一人呟いた。

東京よ、私は帰ってきた。

歌うたのしさ 読むよろこび

『塔』2023年1月号が届く。約5年ぶりの再会である。ちょうどその頃に任意団体から社団法人に組織変えしてからは、誌面づくりがいよいよ洗練されているように感じる。その発送用封筒には「歌うたのしさ 読むよろこび」と記されている。今後、全国の歌友たちとしのぎを削ると思うと身が引き締まる。今月の詠草の提出の〆切は20日。明日中に原稿を整理して郵送しよう。

とはいえ、私は近頃、短歌を含めて韻文を全然書いていない。一方、ルポルタージュなどの散文は気合を入れ直して、少しずつ稿を進めている。韻文と散文の間には矛盾、対立、緊張があるし、両立は想像以上に困難である。片方に専念した方が楽だろうし、私はどちらかというと歌よりも文の人なのだが(私は文人/文士という言葉に拘るのはこのためである)、両方続けた者にしか分からない恩恵めぐみがあるのは確かである。島地勝彦(編集者/バーマン)の「迷ったら、二つとも買え!」の金言に従うしかない。