技術書を携えよ町に出よう

ウェブサイトを新しく作ろうと、お名前ドットコムでドメインを取得したが、はてなブログ側でエラーが出てしまう。DNSレコードの設定は間違っていないはずだが、原因が分からない。まあ、こちらは気長に改善・充実させていこうと思う。

私はコンピューターに関してはそこそこ詳しいと思っていたが、私は実はWEB関連の知識が少ない。少し前はWEB広告の画像リンクの貼り方が解らなかった。普通にサーバーを立てていれば、ディレクトリを指定してあげればいいが、現代ではGoogle Driveのアドレス等を指定してあげればいいのね。もう40歳に近いから、頭が硬くなっている。LaTeXが好きなのはいいが、もう少しHTMLとCSSの知識を身に付けなければ……。JavaScript(TypeScript)も勉強しておいた方がいいだろう。

聖書、文学書と併せて、鞄に技術書を忍ばせよう。

トレードオフ

昨夜は四ツ谷のモツ焼き屋で、私も含めた同僚4人で飲んだ。基本的にいつものメンバーだが、同僚の一人が8月に入社した新卒の後輩をオルグしてきたので、大いに盛り上がった。

サラリーマンが集まると、ヤキトリを頬張りながら、仕事や上司の愚痴を零す姿が目に浮かぶが、私達はそんなことはない。確かにゴシップの華を咲かせるが、昨夜は出版、哲学、政治、宗教の話で大いに盛り上がった。誤解を恐れずに言えば、社会人になってもこういう高等な話ができるのが凄く嬉しいし、その点、出版に戻ってきて良かったと思う。

程よく酔いが回ってきた頃に後輩がぼそっと言った。「兼子さん、やっぱり、文章うまいですね。どこで鍛えたんですか?」

「日記とブログ」私は臆せずに言った。「老人ホームで介護をしながら書いていた。その頃の文章の方が迫力があるけどね」

「やっぱり、恨みや憎しみがこもっているのかな」同僚の一人が言った。「まあ、そうだろうね」

私達の編集部は介護福祉の業界新聞を作っているが、そういうふうに現場を取材していると、ある日、資格を取って、本当に福祉の現場で働き始める人が一定数いる。「ミイラ取りがミイラになる」。

私は別にそういう人達を咎めないし、むしろ、表層に留まるのを止めて、現場に降りて、物事の本質に触れようとするのは本当に良いと思う。そこで得た経験は、その人の言葉に重みを加えるだろう。人間は言葉だけで生きている訳ではない。

しかし、私自身は現地点ではその可能性は棄却している。本当に福祉の現場に身を埋めると自由が奪われるからだ。確かに福祉業界は公費が投入されているので、安定している。不安定な出版業界で働く若者にとって魅力的に映るのは分からなくもない。かつて、私はそのような若者の一人だった。しかし、福祉から出版から往還した私は分かってしまったのだ。自由と安心はトレードオフの関係にある、と。

文学者ライターまたは編集者ジャーナリスト以外に私の存在様式はない。これを肝に銘じて、残りの半生を生きて行きたい。

変換/無変換

職場と自宅のWindows PCの変換 無変換のキーの割当を"ime on" "ime off"に変更した。するとどうだろう。昔勤めていたミニコミ紙の編集室で使っていたMacのキーボードレイアウトとほぼ同じになった。いや、この感じ懐かしい。しかも、それだけではない。すごくキーを敲きやすくなったのだ。Windows PCのデフォルトのキーマッピングだと、半角/全角で"ime on/off"になるが、これだと手がホームポジションから離れてしまうから、どうしてもタイピングに支障が出てしまう。日本語入力に関してはMacの方が理に適っていたのだ。日本マイクロソフトがMacの優位を認めて(自らの非を認めて)、Windowsのキーマッピングをカスタマイズできるように改良したのは、本当に英断である。両雄のOSの使い勝手がぐっと近くなった。私はWindowsとLinuxが好きだし、ハードに関してもmouse computerが好きだが、そろそろMacを使う日も近いかもしれない。

早起きしか勝たん

今日は『シルバー新報』の実質的な校了日。原稿が書き終わらないので、普段より2時間早く会社に行く。

それではブログなんて書いている暇はないではないか、と言われそうだが、15年以上、社会人をしていて分かったことだが、編集に限らず、忙しい時こそ自然体に過ごすべきである。この年になると、体力的に徹夜や長時間の残業もできないので、むしろ、与えられた時間で最大限のパフォーマンスを発揮するように努める。電車の中でも聖書を読むなど、なるべく普段通りの生活を心がける。

私はもともと朝方だが、今日の早出を契機に、会社に早く来て、早く帰ろうかな。その方が夕方、家でゆっくり食事できるし、早寝早起きの習慣が定着するだろう。時間の使い方も改善されるはずだ。夕方4時半に退社すると何かに「勝った」感がある。早起きしか勝たん。

自社媒体

サラリーマンから独立した後、小説執筆と株式投資だけしていると心身に障りそうなので、業界に特化した自社媒体を考える。

もちろん、私の得意(専門)としている介護福祉業界が領域フィールドだ。

いま、考えているのは、それだけで生活のすべてを賄おうとしないことだ。そこにすべてを投入しない。誤解を恐れずにいれば、片手間でやる。それに小説と株式を組み合わせて収支がトントンになれば良い。

しかし、事業について考えていると、小説について考えているのと同じような感興を味わう。初めに仮説を立てて、実行して証明する。まさしく、実証主義ポジティヴィズムである。

いずれにせよ、自社の媒体を作ることを通じて、ライター/ジャーナリストとして、生涯現役で活動したい。

キリストと共に生きる

誕生日プレゼントで頂いたモンブランの万年筆を使って、塚田理『キリストと共に生きる』の抜き書きをする。その中の特に心に残った一節を紹介する。

聖人はくそまじめで、陰気臭い、特殊な人間ではなく、「全人的」な従って、楽しい人物のはずです。ですから、私達が他の人達の中に「聖性」を見れば、いつも心惹かれるのです1

主イエスにおいて体現された神の言葉が、他の場所でも語られることができるはずです。神の恵みは、キリスト者と呼ばれている一部の人にだけ限定されているわけではありません。それはすべての人々に及ぶものです2

「共にいる」ということがキリスト教の核心です3


  1. 塚田理『キリストと共に生きる』聖公会出版、1994年、133頁。
  2. 前掲書、142頁。
  3. 前掲書、157頁。

爽やかな解毒剤

すべてを理解することは、すべてを赦すことである。

——レフ・トルストイ『戦争と平和』

ピート・ハミル『ブルックリン物語』の感銘が大きい。本作の最大のテーマは父との確執である。主人公はもともと父と喧嘩していた訳ではないが、酒飲みの父親をどこか憎んでいた。少年は酒を飲み、父と語らうことによって、父を理解し、父と和解した。それは少年が大人の男に成長する過程だったのだ。

これがハードボイルド・ロマンだと思った。ハードボイルドを描くのに、銃器や薬物など小道具を使う必要はないと、ハミルに諭された感じた。

この頃、私は神学の勉強を始めているが、これに夢中になると、現実リアリティを喪失する可能性がある。文学を読むことで、具体的で地に足が着いた思考と認識ができるようになる。文学は神学、哲学に対する最良の解毒剤なのである。

小説家ライター新聞記者ジャーナリストの彼に自分を重ねている所もある。新聞記者の後は小説家になる。キャリアとして悪くないだろう。