今日は半日の代休と有休を組み合わせて、終日、休みにした。土日を合わせると3連休になるが、この間に溜まっている教会の仕事を片づけなければならない。個人事業の開業準備と、仕事のための読書も控えている。
まあ、そう言っても、会社の事務所に行って、余計な刺激を受けるのではなく、自宅の書斎で一人過ごすことができて、本当に嬉しい。健康を取り戻すために静謐な生活を送る必要があるだろう。さて、アイスコーヒーを飲みながら、本をどっさり読みますか。
今日は半日の代休と有休を組み合わせて、終日、休みにした。土日を合わせると3連休になるが、この間に溜まっている教会の仕事を片づけなければならない。個人事業の開業準備と、仕事のための読書も控えている。
まあ、そう言っても、会社の事務所に行って、余計な刺激を受けるのではなく、自宅の書斎で一人過ごすことができて、本当に嬉しい。健康を取り戻すために静謐な生活を送る必要があるだろう。さて、アイスコーヒーを飲みながら、本をどっさり読みますか。
野分過ぎて、秋来たれり。夜風と虫の音が涼しい。
深夜、起きると、枕とシャツが寝汗で濡れていた。原因は酒ではない。仕事のストレスだ。この執筆・編集という仕事は楽しいだけではない。締切に追われ、取材先、読者の反応に苦慮するなど、精神的ストレスがけっこう大きい。もちろん、好きでやっていることなので、介護現場の夜勤に比べて、苦痛は少ないが、不眠、不安など精神的不調は抱えやすい。日頃から抗精神病薬を飲んで、対策をしておきたい。
今週号の「シルバー新報」の8面が組み上がった。新聞記者の仕事を始めて1年半が経つが、自分で企画を立て、取材をして書いた原稿が組まれて、一つの面を構成すると、やはり嬉しい気持になる。同紙の8面は文化面で、行政面、ビジネス面よりも、企画、文体において遥かに自由度が高く、私は毎月の第1週にこの面に書くのが好きだったのだが、言い換えれば、私は文化面しか役に立たなかった記者と言える。もちろん、6面のビジネス面では「福祉起業家列伝」が予想以上の反響で、今後も続いていく予定なので、成功した企画に入るが、それでも、コラムなので、普通の新聞記事とは言いがたい。
思えば、小説家の司馬遼太郎も「産経新聞」では早々にサツ待ちを免除されて、文化部に配属されていた。もちろん、私のような才能も努力も乏しい者が、司馬遼太郎を引き合いに出すのは、大変おこがましいが、彼にしてみれば、「早々に仕事を引退させられて、車庫に入れられた」気分だったという。彼の胸中は今となっては遺された文章から推し量るしかないが(忸怩たる思いがあったに違いない)、それでも確かに言えることは、彼は新聞記者としての己の資質、小説家としての己の天分をはっきりと自覚していたのだ。
昨夜、酒を飲み過ぎたのか、珍しく二日酔だったので、今夜は飲まずに睡眠薬を用いよう、と思ったが、結局、飲んでいる。銘柄はTEACHER'S。基本は安酒である。水っぽいのをがぶがぶ飲むのは閉口なので、ストレートで飲る。
夕食は納豆卵かけご飯に、レトルトのモツ煮を食べた。10月から自宅で過ごすことが増えるので、料理を覚えて、食事のバリエーションを増やしたい。確実に、今よりも静謐な生活になるだろう。酒の量も自ずと減るに違いない。
紆余曲折を経て、個人で仕事をするのならば、大学卒業後、初めからこうすればよかった、と思うが、新聞社、出版社で学んだことが、今の私の仕事のスタイルを作っている。今後、仕事として介護をする予定はないのだから、老人ホームで強いて働いたことは無駄ではないか、健康を損なっただけではないか、と思われるが、幾千の夜を越えて、肉体労働に励まなければ、今の私の忍耐力、判断力、統率力を培うことはできなかっただろう。
しかし、それ以上に、現在に至るまでの人々との出会いが私の最大の宝物である。これが無ければ、仕事も信仰も立ち行かない。彼等は今の私を形作ったのである。
昨日は割と難しい仕事をやり遂げたので、気持を良く週末を過ごしている。原稿はまだドラフトだが、相手の反応が楽しみである(以外にしっぺ返しを食らったりして。笑)。
来月、会社を辞めるので、組織とそれを構成する人々に対して、いろいろと思う所はあるが、原稿を書いている間はそんなこの世のゴタゴタは忘れてしまう。会社を辞めるのも、文章を書くのにもっと集中したいからだ。仕事の妨げになるこの世の煩いをいかに減らすか。この発想は信仰と似ている。
ライフワークとして、キリスト教文学/神学に集中したいのだが、来年は報道を引退する代わりに、広報に注力したいと思う。すでにツテはいくつかあるが、自分で営業もしなければならない。広報といっても、YouTubeやSNSで小細工をするのではなくて、得意のライティングで堂々と斬り込みたい。
今年の10月から年末にかけては、無理に仕事を引き受けずに、ゆっくり過ごそうと思う。主な仕事はチャペルジャーナル『レンガと蔦』の編集と、『シルバー新報』にいくつか記事を書くくらい。取材と礼拝に行く時以外は、自宅で料理とキリスト教文学/神学の研究に努める。いずれにせよ、療養が必要だろう。
社会人になってから、仕事の合間に本は読んできたので、それで少々管見を拡げることができたが、今後はもう少し腰を据えて、勉強をしたいものである。そうでないと、チャペルの学生諸君に負ける。というのは半分冗談だが、たえず自分をアップデートしないと、キリスト教会、出版業界で太刀打ちできないだろう。
しかし、10月から自分の時間を自分で支配できるのが本当に嬉しい。食べたい時に食べ、飲みたい時に飲み、眠たい時に眠り、起きたい時に起きる。これが本当の人間的な生活ではないだろうか。
日本介護福祉士会30周年記念を取材した。新橋と台場の間、竹芝のホテルの会場を借り切って行われたのだが、来賓も錚々たる顔ぶれで、介護業界の繋がりの深さが感じられた。
日本作業療法士協会 山本伸一会長に「兼子さんは介護福祉士だよね。30周年記念は感慨深いものがあるんじゃない?」と声を掛けてくれたが、正直、私の内心は複雑である。
「今でも時々現場に戻りたい時がありますけどね。お客さんがいて、ようやく仕事ができますし、彼等から力を貰いますから」
「私も今は会長をやっていますが、今でも月2回、現場に診療に行くんですよ。でも、兼子さんの今の仕事も必要とされていますよ」
山本さんは私の肩をぽんぽんと軽くたたくと、再びパーティーの席に着いた。それは牧師の仕草そのものだった。マザー・テレサは人と接する時、「話せ。(名前を)呼べ。触れ」と言ったそうである。一流の作業療法士も同じ姿勢だと気づいた。
福祉・介護に対する私の態度は複雑である。先の発言に反しているが、私は正直、現場に戻りたくない。いや、戻るべきではないのかもしれない。このまま執筆・編集・伝道の道を歩み続けるべきだろう。しかし、時に現場で働いている人々と共に苦しみ、共に喜び、彼等の声を聴かなければならない。介護福祉の専門新聞社を離れても、私は介護福祉について書き続けるだろう。私は文学者として、現場で働く彼等から情熱を貰うのだ。
痛風が続く。今朝は左足が赤く腫れあがり、歩くこともままならなかったので、鎮痛薬が効くまで1時間出社を遅らせた。来月から本当に生活習慣を改善しなければならない。会社を辞める主な理由の一つである。
愛読している文語訳聖書のトビラが剥がれそうになったので、セロハンテープで補修した。書籍のプロならば、もっと善い直し方を知っているはずだが、私はもっぱらセロハンテープである。以前は聖書が鞄の中で暴れて(?)、『エレミヤ記』の頁が破れたので、これも同様の方法で補修した。破損、汚損したばかりの頃は、正直、新品を欲しくなったが(この聖書は購入した翌日に雨に打たれた)、こうして何度も補修していると、愛着が沸くものである。3年後、伝道師の試験を受けるまでは(伝道師の試験に受かるまでは)、このボロボロの文語訳聖書を愛用しようと思う。