BOOKMAN

TAKASHI KANEKO

もっと光を

数日間、部屋の雨戸を閉め切って、ドストエフスキー『地下室の手記』を読んでいたら、具合が悪くなった。昼夜逆転し、1日1食しか食べず、布団で臥床している時間が増えたためだが、恐らく、脳内のドーパミンが減少し、鬱に転じたんだと思う。日中は陽の光を浴びて、生活リズムを安定させよう。

しかし、躁鬱病とはいえ、放っておくと、鬱に落ち込みやすいんだと思う。頓服ではなく、毎日・定時に薬を飲んだ方が良いのだろう。手元にアリピプラゾール 6mgがあるが、3ヶ月くらい飲んでいない(会社に勤めている時も最後の方は飲んでいなかった)。昨日、一昨日、12mgを飲んだが、睡眠が不安定になって、あまり効果を実感できなかった。主治医の見立てどおり、6mgを飲んで、一寸気分を持ち上げた方がいいのだろう。血中濃度を安定させるためには1週間ぐらい時間が必要だし、私の場合、この薬を飲むと、その分、睡眠時間が短くなるので、その分、働くことになるだろう。

ペテロの十字架

今日のミサの後、ペテロ菅鼓二郎くんから、十字架のペンダントを貰った。ペテロ学弟はアーティストの豊かな気質があり、いろいろなモノを作るのを得意としている。語学と音楽の才能もあり、留学したこともないのに、英語でネイティブと会話できる力量には舌を巻く。神は人間に対し、不平等に才能タラントを与え給うたと思わざるをえないが、私は私で少ない才能で文学/神学を創造/研究するしかない。柔和な先生と極端な後輩に囲まれて、私の後半生は幸せである。

ペテロの十字架

木枯らし

そろそろ仕事を再開しようと思って、ライティングの業務委託の案件を探したけど、自分に見合う(務まる)仕事がほとんどないことに気づく。こりゃあ、執筆・編集は自分でやって、あとは他業種で堅実に稼ぐしかないや。朝、昼は自分の仕事に専念して、夕から夜にかけて、どこかで働く他ない。飲食業界がいいと思う。

年内はむやみに動かずに、勉強と療養に努めますか。

鎌倉旅行 2

2日目は新江ノ島水族館で遊んだ。同館はクラゲの収集、育成、展示に力を注いでいたが、深海魚の展示も豊富だった。トーマス・マン『ファウストゥス博士』で、音楽家のアドリアン・レーヴェルキューンが潜水艇に乗り込み、海底に棲む深海魚を目撃するシーンを思い出す。少ない光を頼りに、海底で息を潜めて生きる深海魚は芸術家の表象である。一方で、海獣、海鳥の展示も豊富で、ペンギン、ウミガメ、アザラシは可愛かった。

昼食は海沿いに在るびっくりドンキーの姉妹店で、目玉ハンバーグプレートを食す。ランチタイムはライス大盛、味噌汁付きで満腹になった。しかし、その後、血糖値スパイクが起こったようで、鎌倉駅行の江ノ電では急な眠気に襲われた。朝食を食べないからだろうか。それとも、炭水化物の食べ過ぎなのだろうか。約3年間この症状に苦しめられているので、医者に相談した方がいいかもしれない。

鎌倉市街では、お土産にハチミツ、漬物を購入。ハチミツはカクテルの材料として、また、水、炭酸などで薄めて飲んでも美味しい。漬物は後日、友達の家で日本酒の肴にしたら、望外の好評だった。今後、普段の食卓に取り入れると楽しいだろう。

帰路、横須賀線の車中で、聖書を片手に居眠り。もっと、しっかりしなければ。

潜水艇 しんかい2000

鎌倉旅行 1

先日、連れ合いと鎌倉を旅行した。平日、比較的空いている頃合いに、混雑を避けて行けたのは、会社を辞めた功徳とも言うべきものであった。

初日は鶴ケ丘八幡宮を観光。私はキリスト者なので、神社の神々を崇拝することはないが、初めて訪れた彼女は楽しんでくれたようだ。境内の売店で鯉のエサを買うと、それに目がけて鳩が群がってきたのが良い思い出である。

その後、坂道を登って、建長寺を拝観した。臨済宗(禅宗)の山寺の円内には宿坊、道場を備えて、節制・禁欲の雰囲気を湛えていた。宗教は違うが、私もキリスト者として修行に励もうと思った。仏教、ことに禅宗に対する私の印象は良い。

仏寺を後にすると、小町通り沿いにある、鎌倉聖ミカエル教会を訪問した。司祭、執事は不在で、参拝者は私一人。神社は民衆で溢れんばかりなのに、教会には信徒の他に来ることはない。聖公会のみならず、日本のキリスト教会を思うと、寂寞たる気持になった。

夕暮から日没にかけて、江ノ島で遊んだ。名物の生しらす丼を食べた後、ホテルの客室でカンパイした。

鎌倉聖ミカエル教会

仕事と勉強

毎日、読書三昧の生活を送っているが、すでに飽きてきたので、来月からライティングの業務委託の案件を請け負いたいと思う。腕が落ちて、気持が後ろ向きになる前に、すぐに始めるべきだ。当初はアルバイトで肉体労働をしようと思っていたが、本業の執筆・編集に注力した方が効率が良いだろう。

文学に関しては早急に創作を開始するべきだ。神学に関して言えば、実存神学と呼ぼうか。ハイデガー、アレントの実存哲学を神学的に再構成することを試みたい。いずれにせよ、ブルトマンの読解が不可欠になるだろう。その他、リベラリズムとアングリカニズムの思想史的検討という課題も抱えていて、勉強することは山ほどある。チャペルの学生諸君が大変よく勉強しており、私も彼等に負けないように頑張りたい。

隠遁のススメ

よく隠れる者はよく生きる。

ルネ・デカルト

2024年9月30日、私は介護福祉の専門新聞社を退職した。その後は他社に転職したり、生活のためにアルバイトをすることもなく、自宅で読書三昧の生活を送っているが、今回はその中で得た気づきを率直に綴ってみたい。

反省

会社を辞めて一番よかったことは、自分を見つめ直す時間を確保できるようになったことである。それまで世間の大多数の勤め人と同じように、日々の業務に忙殺されて、己を省みることができなかった。換言すれば、神と向き合って来なかった。神と己の関係を糺して来なかったのである。私の実存は存在忘却の状態に陥っていたと言わざるを得ない。

新聞社のオフィスでは上司・同僚と机を並べて、仕事をしてきたが、8時間の会社勤めは私に相当の負担を強いた。夜間、不眠症で約3時間しか眠れなかったので、休憩時間は机に突っ伏して寝た。惨めだった。独立した暁には布団で寝たいと強く願ったのはこのためである。最後の会社勤めは自身のオフィスワーカーとしての不適合を再確認し、失敗に終わった。場末のオフィスビルの一角に押し込められて、気乗りのしない仕事に時間と労力を費やせるほど、人生は長くない。

退職後、持ち帰った仕事(?)を片づけた後は、自宅で読書中心の生活を送っている。読み物は聖書、哲学書、文学書、一般向けの精神医学書などである。神学書が含まれていないが、まだ時が来ていないと思っている。しかし、会社を辞めたこと伴う最も大きな変化の一つは、本を読めるようになったことである。活字を目でスムーズに追えるようになった。学生時代を超える理解と速度である。かつて、躁鬱病で読書と執筆の力が一気に落ちたが、日夜、読み書きを続けることで、病前を越える水準にまで回復した。その間、いろいろな書物を読んだが、枕頭の書は聖書であった。病を得、癒す日々の中で、私は神の御言葉を聞くことを覚えた。

治癒

自分を見つめ直す日々を送る中で、私は今まで目を背けてきた、己のアルコール依存症の問題にメスを入れ始めた。

私が自ら酒を飲み始めたのは20代後半からで、躁鬱病と不眠症に苦しめられ、その症状を鎮めるために自己治癒的に用いたのがきっかけだった。毎晩、ウイスキーをショットグラスで2、3杯飲んでいたが、今見れば可愛いものである。当時、出版社を渡り歩いていたが、出版業界そのものに飲酒を奨励する風潮があった。編集者、特に文芸編集者はそれなりに酒が飲めなければ仕事にならなかったし、事実、私が尊敬する優れた編集者は皆、酒飲みだった。彼等は几帳面ではないが、創造的クリエイティブだったのである。

躁鬱病の悪化に伴い、私は出版業界を離れ、職業訓練を経て、特別養護老人ホームの介護職になった。ここで酒の量が一気に増えると同時に、煙草の味も覚えた。早番・遅番・夜勤を交互に繰り返すシフト勤務。昼間に眠るために飲む多量の朝酒。30代半ばにして、私はアルコール依存症になっていた。止めることは困難だった。周りが飲んでいたからである。医療・福祉業界は飲酒・喫煙率が高い。人の命を預かるプレッシャーと24時間の対人サービスのストレスが非常に大きいからである。特にコロナ禍の時は凄かった。世間は「エッセンシャル・ワーカー」として持て囃したが、実際は市民社会が周縁で低くされている人達に負担を押し付けただけである。国家あるいは法人が医療・福祉職に禁酒・禁煙を押し付けてきた暁には、大量の離職者が出るだろう。もしかすると、罷業ストライキを起こすかもしれない。

介護福祉の専門新聞社に転職した後も、私は惰性で酒を飲んでいた。毎週月曜日の終業後、四ツ谷の鈴傳で、取締役、DTPオペレーターと飲んでいたが、飲酒と社交が新聞記者としての成長を促したのかは正直分からない。その内、編集部で虐めに遭い、仕事と存在の価値を剥奪されることが続いた。酒の量も増えて、朝酒をすることもあった。「このままでは死んでしまう」安月給と引き換えに命を削る必要はないと判断し、誰にも相談することなく、あっさり辞めてしまった。

退職して数日後の朝方、鬱で布団から起き上がることができなかったので、禁酒をすることを決意した。アルコールは躁鬱病に良くないことがようやく分かったのだ。10月9日から禁酒を開始。同月12日の友人のワインパーティまで我慢した。禁酒1日目は飲酒欲求を強く感じ、2日目には焦燥感、抑鬱などの症状が現れたが、3日目には非常に快活、元気になった(やや躁転したかもしれない)。禁酒の間は抗精神病薬と睡眠薬を飲んで、7時間の睡眠時間を確保することができた。胃腸の調子も良く、財布にも優しい。完全断酒だと仕事と社交に差し支えあるので、今後、飲酒の機会は週2~3日にとどめたい。大斎節の間は完全禁酒に挑戦するのも楽しいかもしれない。

会社を辞めて、世間から隠れることで、自身の惨めな姿をようやく見つめ直すことができた。これからは意志を堅く保ち、神の御心に適う生活を心がけたい。