若者のはじまり

つかめプライド   つかめサクセス
元気のGは   始まりのG
Gのレコンギスタ
(作詞:井荻麟、作曲:菅野祐悟Gの閃光」)

先日、大学時代の同級生と『GのレコンギスタⅠ 行け!コアファイター』を観に行った。映画館は新宿ピカデリー。金曜日の21:20に上映開始だったが、客席は満席だった。

この映画は『機動戦士ガンダム』の監督、富野由悠季の最新作である。2014年にテレビ放送したものを、新規カット追加、再度アフレコをして、再編集したものだ。御大(富野由悠季の愛称)78歳の野心作である。

Gのレコンギスタ』略して『Gレコ』は放映当初から「分からない」「難解」だと言われてきた。難しいのは作品の思想やテーマなどではなく、物語の筋を追うことであったり、登場人物に共感することなどである。一度見ただけでは分からない。いや、むしろ分からなくてもいい、という意見も、熱心なファンから聞こえた。

劇場版になって「分かりやすくなった」という意見を耳にするが、はてしてそうか。アニメ版を観た私でも、やはり、難しい作品だと思った。トワサンガフォトン・バッテリーミノフスキー粒子などの固有名詞を説明なしにばんばん出してくる。ここまでくると、「一見、子供向けのロボットアニメだが、そう簡単に分かってたまるか」という富野監督のプライドないし意地のようなものが伝わってくる。視聴者である我々もいろいろなアニメや映画を観て擦れてくると、話の筋が読めてくる、分かりやすい作品では満足できなくなってくる。最初は感動しても、繰り返し観たいとは思わなくなってしまうのだ。富野監督の分かりにくさは『Gレコ』に始まったことではない。『機動戦士ガンダム』の頃から分かりにくかった。固有名詞は乱舞し、唐突な会話、いわゆる〈富野節〉は健在だった。私が『Gレコ』の劇場版に足を運んだのも、分からないものを、分かりたいと思う好奇心、探究心だったのかもしれない。

しかし、今回、改めて感じたのは、『Gレコ』の戦闘シーンの格好よさである。特に空襲を受けて混乱している渦中に、物語の展開をぐいぐい進めてしまう手腕は、『機動戦士ガンダム』のファンならばおなじみだろう。『Gレコ』は物語の筋が多少分からなくても、映像の引力に引き込まれてしまう。富野監督は脚本家であると同時にコンテマンなのだ。

ともあれ、2月には第Ⅱ部を上映するので楽しみにしている。ちなみにこの記事の冒頭で引用した歌詞は、『Gのレコンギスタ』のED「Gの閃光」の一部である。井荻麟富野由悠季の作詞家としての雅号である。私達のように多少、思想や学問をかじった人間は、成功することに対して引け目を感じてしまいがちであるが、この歌は若者が何かを始めることを素直に応援していて大変よろしいと思う(ちなみに御大はハンナ・アレントの熱心な読者である。影響を受けたというよりも、もともと共感するものがあったのだろう)。私はもうひと踏ん張りしたい時、気持ちが弱っている時に歌うようにしている。