趣味は読書?

職場の同僚から、こんな質問を受けた。

「兼子さんの趣味は読書じゃないの?」

「読み書きは趣味じゃないよ。私に趣味はないよ」

「趣味は読書」と聞くと、一瞬考えこんでしまう。本を読む行為、これは趣味と言えるのだろうか? 小説、詩集、歌集、句集など、いわゆる「文学」と呼ばれるものであれば、なにか典雅な、高尚なもののように思われて、趣味として認められるかもしれないが、単に情報収集のために読むことがある。むしろ、動機としてはこちらの方が圧倒的に多い。新聞をめくったり、スマホやパソコンでウェブサイトを見るのと大して変わらない。紙にインクで印刷された文字と、液晶に表示された文字に違いはない。文字は文字である。ゆえに、私は活字中毒なのではなくて(活字は活版印刷のことだ)、文字中毒なのだろう。歩きながら、あるいは電車の吊革に掴まりながら、もしくは人と話しながら、頭の中で文字を並べるようになったら、おめでとう。あなたは文学者である。字毒(おそらく開高健の造語)に侵されているのだ。数学者は飯を食べている時も、酒を飲んでいる時も、道を歩いている時も、トイレに座っている時も、突然、数式をひらめくことがあるが、それと似たようなものである。私は普段LaTeXで文章を書いているので、頭の中でソースコードを書いているが、数学者もほぼ全員、LaTeXで論文を書いているので、状況は同じだろう。文学者も数学者も、現代ではことごとくプログラマになってしまった感がある。

さて、これが趣味と言えるだろうか?

文字を読むこと、書くことは、人間として生きるための基本的条件と言えば、模範解答になるのかもしれないが(しかし、今も文字を持たない民族がいること、人間は近代まで、文字を使わなくても立派に生きてきたことを忘れてはならない)、最初は知的好奇心を満たすことや、抽象的思考を逞しくするために、文字を使用していたのに、いつのまにか文字に囚われてしまったのではないか? 文字を読み書きすることで、現実が見えなくなる。ミイラ取りがミイラになるようなものである。趣味ならば、飽きたら止めればいいが、そうはいかない。もはや、中毒なのだから。

私は文学者でありたい。