病気と成長

16時に起きた。目覚めるとすでに夕方である、という事実にいささかショックを覚えるが、少し前の不眠の日々を思うと嘘のようである。夜も昼も眠ることができず、衰弱していたのである。

最後に精神科を受診したのは4ヶ月くらい前のような気がする。当然、処方箋は貰っているが、自分にとって最適な薬の飲み方を試行錯誤し続けてきた。減薬などは、普通、定期的に受診して、医師の指導のもとにおこなうのであるが、私は自分の身体と精神と対話しながら、孤独に実践してきた。どちらがいいとは一概に言えない。私は主治医の先生を信頼しているし、ドクターに近況を報告しながら、薬を調整し、その他、人生の諸問題を解決していく様は、マラソンで伴走してくれるような頼もしさを感じる。協力して事にあたる喜びもある。

しかし、マラソンはどこまでも個人的で、孤独な行為である。

治療も同じではないか。医者は診察、処方、手術など、いろいろな手段によって、患者に介入することができる。しかし、病気を受容し、それに対抗する方法は、どこまでも患者の主体的な判断に委ねられているのである。治療の過程で患者の持てる全ての知力、体力を動員しなければならないのはそのためである。病気が、治療が、人間の成長を促すのはこの為ではないか。病気の人間学的な意味はこの点にある。不幸は無価値ではない。それは正当に評価される必要がある。東京都が五輪のために掲げた「KENKO FIRST TOKYO」という標語がいかに浅薄であるかが分かるだろう。否、それは浅薄だけではない。人間の経験に対する冒涜である。

——話がそれた。近頃の私は抗精神病薬ジプレキサ(一般名:オランザピン)を単剤で飲んでいる。一時、同じ抗精神病薬セロクエル(一般名:クエチアピン)を眠前に飲んでいたが、不眠は解消されないし、覚醒中の抗躁、抗鬱作用が弱いので、手持ちの分を飲んでしまうと、やめてしまった。

一方、ジプレキサは抗躁、抗鬱だけでなく、入眠困難中途覚醒など、どんな不眠の症状にも効果的である。飲み初めの頃は、朝、起きられない、あるいは昼、眠気が強くて敬遠していたが、それも慣れてくると気にならない。むしろ、思考と情緒が穏やかになり、本来の落ち着きを取り戻したようである。私にとって抗精神病薬は内科の総合感冒薬のようなものである。あらゆる精神症状に効く。睡眠薬はいらない。ただし、ジプレキサを服用中に酒を飲むと、すぐに酩酊する。注意されたし。

今後は体調に応じて、ジプレキサの容量を増減することにした。デフォルトを2.5mgに設定して、調子が悪い時は5mgまで増量する。逆に調子が良い時はまったく飲まない。近頃は精神病に罹ったら、一生、薬を飲み続けなければならないという意見があるが、それは病気のみを見て、人間を見ていない証拠だろう。病気が寛解して、本人が不自由ないと判断すれば、薬など飲まなくてもいいのである。その人は病気を克服したのである。