BOOKMAN

TAKASHI KANEKO

驟雨

今日は休日。正午過ぎに目を覚ます。ひさびさに長く、深く眠ったような気がする。先日の夜勤で睡眠相が崩れて以来、連日、半醒半睡で過ごしていた。睡眠不足になると、人は抑鬱的になる。平たく言うと、悲しく、怒りっぽくなる。自他問わず人を責めるようになる。肉体の健康を蝕むだけでなく、精神の健康を蝕む。それは思考の次元レヴェルだけでなく、感情の次元にまで食い込む。連日、睡眠不足が続くと、感情が平板化する、無感動になる経験はないだろうか? 世界の美と醜を感受できなくなる。そういう時はよく眠ることだ。

「あの人はクリアだ」

と、介護の仕事をしていると、職員が利用者をこう形容することがある。あの人は認知症が少ない、あるいは軽症だ、という意味だが、職員の私とて、思考が明晰クリアではない。むしろ濁っている。それは必ずしも悪いことではない、実は何かを始める時の原動力なのではないか、と密かに思っている。志賀直哉の短編に『濁った頭』というものがある。性欲が昂進した主人公が股に火を近づける、その挙句、森を駆け巡って〈先生〉のマボロシを見る——。志賀直哉は「頭を病んでいた」ので、城崎に保養したことがあるが、彼が小説を執筆した原動力は、この渾沌カオスではなかったか。芸術家は力業で渾沌を秩序に変えるのだ。

統合失調症は昔は、分裂病、早発性痴呆と呼ばれた。認知の歪みを伴うこの病気は躁鬱病と並んで〈精神病〉として見なされた。それに比べて、不安障害、パニック障害などは〈神経症〉として見られたのである。精神病の治療には基本的に抗精神病薬を用いる。現在はMARTA(多元受容体作用抗精神病薬)が主流で、リスパダールジプレキサセロクエルなどがある。分裂病躁鬱病認知症の薬は実は同じなのだ。私〈職員〉は彼/彼女〈利用者〉と同じ薬を飲んでいる。「あの人はクリアだ」という言葉には、病気と健康を、暗愚と明晰を、渾沌と秩序を、自分と他人を、簡単に分けている。そこに差別の眼がある。