BOOKMAN

TAKASHI KANEKO

失われた感覚を求めて

私が高校生の頃、父が会社で払い下げになったパソコンを自宅に持ち帰ってきた。IBMThinkpadだ。Windows98がインストールされていた(ヴィーンチャラランという起動音は今でも最高にクールだと思う)。そのパソコンを私は大学4年生(2009年)まで使っていた。ソフト、ハード、いずれの面でも完全にロートルの機体だったが、文書の作成など、用途を限定すれば十分使えたのだ。私がOSのサポート期間に頓着しないのはこのためだ。

Thinkpadのキーボードの真ん中には赤い丸ポチが付いている。正式名称はトラックポイント。当時はほとんどのラップトップにこの機器が付いていたのだが、タッチパッドが普及するにつれて、ほとんどのメーカーで廃止されてしまった。タッチパッドの方が便利というよりも、工費と工程の削減が主な理由だと思う。トラックポイントを操作する指の荷重に耐えられるほど、現代のラップトップは頑丈にできていないのだ。

いま、自宅で使っているPCはmouse computerの14インチのラップトップである。CPUはCeleron、メモリは4GB、SSDは128GB、OSはWindows10。もう3年間くらい使っているが、購入当初もロースペックだった。しかし、記憶媒体SSDを採用するのは初めての体験だった。故障もなくキビキビ動いてくれるので満足している。そもそも私のPCの主な用途は、テキストエディタを開いて、コードを編集して、LaTeXコンパイルするという、UNIXDOSが誕生した時代とほとんど変わらないのだから、メインフレームのごとき性能はいらないのである。Adobeの重たいソフトも使わない。ライターには普通のPCで十分なのですよ。

この頃、自分に課しているのは、マウスを封印して、ほとんどの作業をタッチパッドでこなすことである。学生の頃はトラックポイントタッチパッドで何不自由しなかったのに(当時はマウスの使い勝手もよくなかった)、勤め人生活を続けていると、どうしてもマウスを使わされる機会が多くなり、完全に馴らされてしまった。私は労働者として訓育されたのである。

私のライティングスタイルは、この3年間で様変わりしたが(Wordなどのワードプロセッサを使わず、KateなどのテキストエディタLaTeXを使うようになった。文章を書くことがコードを書くことになったのである)、学生の時分、Thinkpadネットブックを駆使していた感覚を取り戻そうと、この記事を書いている。