執念と諦念

夜勤明け。特に辛いことがあった訳ではないのに、酒を飲まずにはいられなくなる。おそらく、酒を飲むことで、自身の心と体に溜まった澱のような疲労を洗い流したいのだろう。

まずはビールで喉をしめらす。冷蔵庫にキリン・一番搾りが冷えている。もちろん、500ml。プッシュ。ゴクゴク。冷房の効いた部屋でイッパイやると、暑熱と疲労と睡眠不足でボンヤリしていた頭がしっかりしてくる。アルコールは鎮静と覚醒を同時にもたらすことを身をもって理解する。

次は日本酒。鎌倉の瑞泉寺に寄宿していた歌人・山崎方代にちなんだ銘酒〈方代〉を飲む。方代は無類の酒好きで、戦後、復員後は定職に就かず、朝夕関係なく酒を飲み、煙草を吸い、詩興のおもむくままに短歌を書いた。ゆえに彼の法要では般若湯が配られたのである。歌集『右左口』から何首か引いてみる。

瑞泉寺の和尚がくれし小遣いをたしかめおれば雪が降りくる

手のひらに豆腐をのせていそいそといつもの角を曲りて帰る

砲弾の破片のうずくこめかみに土瓶の尻をのせて冷せり

戦後、一種の生活破綻者として生きた方代を、昔の私は軽蔑の眼差しで見ていたけれども、この頃は徐々に彼に近づきつつあるのではないか。三十を過ぎると、人生は執念と諦念の総和のように思えてきた。

日本酒はどんなに冷えていても、どんなに辛口でも、私には甘ったるく感じる。早くそのコップを空けちまいな。次はウイスキーが控えているんだからさ。