句読点の冒険

句読点の打ち方について悩み続けている。次の例文を読んでほしい。

「深い孤独の中の死」アマルティア・センはデリーの演説でその不幸について語った。

例文1

「深い孤独の中の死」。アマルティア・センはデリーの演説でその不幸について語った。

例文2

深い孤独の中の死。アマルティア・センはデリーの演説でその不幸について語った。

例文3

一見、見分けがつかないが、注意深い読者ならば、すでにお気づきだと思う。括弧のあとの句読点の打ち方が違うのである。たとえば、〈例文1〉は現代における小説の一般的な書き方である。筒井康隆の次の文章を参照してほしい。

「ああ。パプリカ」能勢は質問に答えず、詠嘆するように言った。「君はぼくの夢の中に出てきてくれたね。とてもすばらしかった。すばらしかったよ」

筒井康隆『パプリカ』

筒井康隆のテンポのいい軽快な文章は、会話文「」の直後の句点(。)をことごとく省略している。また、会話文を改行しないで、できるだけ地の文と継続することも、彼の文章にスピード感を与えている要因だと思われる。

次に〈例文2〉について考えてみたい。これは現代の新聞記事、あるいは論文の一般的な書き方である。

その朝、インディアン条約の間には、おなじ考えを持った利害関係者が集まり、新大統領と話し合っていた。その日の目標は、全員が同じ曲を歌いながら退席できるようにすることだった。「意見がひとつにまとめられた」。あるホワイトハウス高官が言った。「私たちは、それができるかぎり大きくはっきりと聞こえるように努力しているんだ」。 ヘドリック・スミス(伏見威蕃/訳)『誰がアメリカンドリームを奪ったのか? 資本主義が生んだ格差大国』

会話文「」のあとに、必ず句点(。)を置いている。会話にスピード感は生まれないが、律儀で端正な印象を与える。しかし、全編、この書き方で行くと、文脈に応じて、文章のリズムに緩急をつけることができない。アカデミシャンにこの書き方が多い。しかし、小説などの翻訳(特に商業出版)に手を染めていると、その限りではない。

次に〈例文3〉について検討するために、須賀敦子の随筆(小説?)を参照する。

イタリア語でなんていうの、この花、おかあさん。葉のあいだからつぎつぎに匍い出す赤く透きとおったアリを指先でつぶしながら、私は寝室の戸棚のまえでいつまでもごとごと音をさせているしゅうとめに問いかけた。声がはずんでいたかも知れない。日本にしか咲かないと信じこんでいた紫苑が、いちどにこんなにたくさん、いきなり目のまえに置かれていたのだったから。名前って。たたみかけるような私の口調に、しゅうとめは、大きな花瓶をかかえて入ってきながら、怪訝そうな顔をした。

この辺ではセッテンブリーニって読んでいるけど。花っていうほどのものでもないし、ちゃんとした名かどうかも、知らないわ。

ふうん、セッテンブリーニねえ。小声でその花の名を繰り返しながら、私は思った。なんて簡単な名だろう。九月に咲くから、九月っこ、か。

きれいな花よね。そういうと、無類の花好きだったしゅうとめは、大げさな、という顔をして笑うと、いった。さあねえ。きれいだかなんだか、よくわからないけど、私は好きだわねえ。かわいらしくて。

須賀敦子「セレネッラの咲くころ」

括弧「」を極端に使わない文章である。この文体では地の文と会話文の矛盾は解消されている。括弧「」を使わない文章はうるさくないのである。人の声が、静かに、密かに、語りかけてくるようである。須賀敦子は『ミラノ 霧の風景』で文壇に登場した時から、すでに「大家」と呼ばれていたが、この個性的な文体のためだろう。括弧「」を使わない文体。それは彼女が翻訳した、ナタリア・ギンズブルク『ある家族の会話』の影響かもしれないし、あるいは『源氏物語』、『平家物語』など、日本の近代以前の文学的伝統にも根差しているのかもしれない。

私の文体は絶えず試行錯誤している。それは文士の個性であるとともに、その人自身であるからだ。また、それは時代によって生成変化する。社会はもちろん、個人の成長、没落、再生に応じて、文体は構築され、解体され、そして、再び構築されるのだ。私は自分の文体(それは就中、私自身の可能性にほかならない)を生涯をかけて、探り続けることになるだろう。