「私、最近眠れないの。だから、睡眠薬を処方してもらっているのよ。マイスリーと言ったかしら」
会議室のテーブルで食事を摂っている女性は、中年、いや、老年に差しかかっていた。目の下の隈が不眠がちで疲労した様子を感じさせた。
彼女は続けた。「私、鬱病じゃないかしら」
「私は躁鬱病ですよ」彼女の質問に対して、軽率に答えることができないので、あくまで同病のよしみであることを示すにとどめた。「私も以前、睡眠薬を飲んでいたんですけどね、酒飲みなので、酒と睡眠薬の取り合わせは悪いので、(睡眠薬を)止めてしまいました。相互に依存する傾向がありますからね、
「うちの主人も」彼女は淀みなく言った。「躁鬱病なんです。でも、あの病気って、躁の期間はごくわずかで、ほとんどの日々を鬱で過ごすのでしょう?」
「そうですね。躁鬱病は別名、双極性障害と呼ばれます。病気は病気、障害は障害、です。それ以外の何物でもありません。しかし、私はこの宿痾をGiftだと思っているのですよ。この言葉には〈贈物〉と〈才能〉と〈毒〉という三つの意味があるのです」
「だから、私たち、惹かれ合うんでしょうね」
彼女の感慨に対して、私は沈黙と微笑をもって答えた。個体化された人間が分かり合う日は来るのだろうか? それは相互に求め合った人間同士の誤解に過ぎないのではないか? 分かり合うこと、理解すること、これは結局、人間の意志と良心の問題ではないだろうか。
「私、大学に行こうかしら」
「神道に興味があると言っていましたね。私はキリスト教徒ですが」
「入社当時のコンパでそんなこと言っていたわね」
「大学で政治思想史を勉強していましたからね。『聖書』を読むんですよ。すると、卒業して10年たっても、自分の思考がキリスト教に規定されているのが分かるんです。母校にチャペルがあるんでね、私は再び大学に通い始めました。私はキリスト者になることで、再び政治的に思考し始めたんです」
「やっぱり、……政治」
「私は職場で左翼、就中、社会主義者として見られているんですよ。現代は
「右翼の私の敵……」
「さあ、どうでしょうね」
私は粗茶を一喫すると、食事のトレーを持って、会議室を出た。