どんなときも。どんなときも。


槇原敬之 - どんなときも。

槇原敬之のベストアルバム『Smiling』を聴きながら、この記事を書いている。2020年に氏は覚醒剤取締法違反で逮捕、起訴され、懲役2年、執行猶予3年の判決がくだったが、ネット上では新型コロナのニュースの隙間を縫って、「遠く遠く」、「どんなときも。」など、氏の有名な楽曲をもじった、皮肉な調子の記事が散見される。週刊誌お抱えのプロのライターでも、この程度の記事しか書けないのか。醜聞スキャンダルの域を出ていないのである1

春は残酷な季節——出発と別離の季節である。不慣れな環境、あるいは、馴染み切った環境に置かれて、自分の本来居る場所はココジャナイと思って、「消えたいくらい辛い気持ち」を抱えている時がある。活躍している、成功していることだけが人生ではない。むしろ、ほとんどの人は不遇の時を過ごしている。こんなものだろう。いや、こんなはずじゃなかった——。自問自答を繰り返す。ふて腐れてしまう時、絶望的デスパレイトな気分に陥って、自暴自棄になる時、私は槇原敬之の「どんなときも。」を聴いて耐えた。


どんなときも。/ 槇原敬之 カバー by DUC [パワーコーラス ]


  1. 開高健は小説の執筆が行き詰った時、『週間朝日』の委嘱記者として、『ずばり東京』、『ベトナム戦記』などのルポルタージュを記した。彼の凄い所は、小説家から記者に転身して、虚構フィクションではなく、事実ファクトを追究することを求めても、その文章から情緒と思想が失われなかったことである。事実を書けばよし、とする凡百の記者の素朴リアリズムの態度から、彼は遠い所にいた。