「で、君は——、僕たちをあんなに楽しませてくれた、セント・ジェームズ・アンド・アルバニーの仕事を辞めてしまったということなのかい?」
「いえ、違います、侯爵。あれは並行しています。と言いますか、こちらのこれが並行しています。私はここにいて、あそこにいます1」
故郷のドイツを出て、フランス・パリのホテルでエレベーターボーイとして働いているクルルが、休日、レストランで食事をしていると、それまでホテルの客として遇してきた、ヴェノスタ侯爵と邂逅する場面である。侯爵は労働者のクルルが、高級レストランで食事をしていること、その豪奢な装い、そして、その優美な所作に瞠目したのだ。
虚構の小説から、現実の生活に話を移す。
私は今、東京に住んでいるが、同時に千葉の老人ホームに働きに出ている。私の
ヴェノスタ侯爵は、次のようにクルルを評した。「君にはきっとわかる筈だけど、ここで君に出会ったのは、僕には嬉しいと同じくらい怪しい。知識欲を刺激されるね。『並行している』とか『こことあそこ』とかいう君の言い草には、陰謀めいたところがあるよ、——経験のない者にはね。それを認めたまえよ2」