都内亡命 1

仕事を片づけると、私は階下に降りて、「これからドライブに行く体力は残っているかい?」と、同僚のNくんに声をかけた。

「いいですよ。夜のドライブは好きですから。でも、これから残業をしなければならないので、先に車のキーを渡すので車内で待っていてください。煙草も吸えるので快適ですよ」

1時間後、Nくんは駐車場に現れた。彼の愛車、三菱 ミニカトッポのエンジンに火を入れる。時刻は21時。松戸の田園地帯を走り、江戸川を越えて葛飾に入ると、荒川沿いの四ツ木ジャンクションで首都高に乗り込む。ミニカトッポは90年代に生産された軽自動車なので、時速100km位を維持して、車体を労わりつつ、夜の首都高を駆け抜ける。右手に東京に林立するビルディングの夜景が見える。

「これが東京の生活だぜ!」

私は助手席でラッキー・ストライクを一喫しながら叫んだ。


緊急事態宣言下でも私の生活は大して変わらない。労働、読書、飲酒……この繰り返しである。しかし、本当にこの繰り返しが続くと、具合が悪くなってしまう。もっと直截に言うと、鬱になってしまうので、つねに風穴を開ける機会を狙っている。執筆はその手段の一つであり1、遊びもそのための手段の一つである。健康を維持するために目的と手段は合一している。

相変わらず、経済学の勉強を続けているが、その方の理論書以外にも、小説、評伝を読んでいる自分に気づく。その一つに中村真一郎の小説 四重奏『陽のあたる地獄』が挙げられる。

経済学者の〈僕〉、(元)天才少年ピアニスト〈K〉などの男性の登場人物のほとんどは、程度の差はあれ、作者 中村真一郎の分身のように読める。そして、彼らと接触し、関係を持つ〈ジャンヌ〉や〈奥様〉などの数々の女性は、現実に中村真一郎が愛した女性たちの姿を投影しているのだろう。本人は激しく抵抗するかもしれないが(あるいは渋々認めるかもしれないが)、私小説作家に特有の露悪趣味、露出趣味が覗われる2。その意味で、本書の帯文が宣伝するとおり、現代日本文学が到達しえたポルノグラフィなのだろう。

(元)天才ピアニスト〈K〉は、南仏での転落事故がもとで、指を損傷し、その後のピアニストとしての経歴、生命を絶たれることになる。彼の天才の輝きは失われ、急激に老けて中年のようになり、事故の時に脳を損傷したことも相まって、白痴のようになってしまった——。この描写は30代後半に精神を病み、入院、薬物療法と電気痙攣療法を余儀なくされた作者の経験を投影していると思われる。彼は随筆『テラスに立つ少年』の中で、定期的に神経症の発作に襲われ、そのたびに文体が崩壊してしまうので、書くことで、また自分を一から作り直さなければならない、と苦笑いしながら告白している。「あのウィンブルドンで優勝した選手の小指は欠けていたのではなかったか」障碍ハンディキャップがあっても、欠点があっても、それでも続けることが大事なのかもしれない。

小説『雲のゆき来』の一節。「私には女優の才能がないことに気づいてしまったんです」と手紙を寄こした、国際女優〈楊〉に対し、小説家の〈私〉は次のように答えた。

「才能があるかないかは、最後までやってみなければ分からないではないか」

何度も自殺衝動に襲われながらも、中村真一郎は最後まで生ききった。享年79歳。


  1. 文章を書く行為は本能的に繰り返しを拒否し、絶えず新しい対象を求め、新しい方法を試みている。これがルーティン化を求められる労働との本質的な違いである。

  2. 中村真一郎の小説を読む主要な動機として挙げられるのは〈怖いもの見たさ〉である。全体小説を書く、すなわち、社会全体を描き、批判するために中村真一郎は詩人ではなく、小説家になったが、同時に彼は自分の人生を材料に小説を書けることに気づいていた。「肉を斬らせて骨を断つ」と彼は言っている。これは詩人ではなく、小説家にしかできないことだった。晩年の彼は田山花袋を評価していた。