27日夜、大学時代の政治学の恩師・浪岡新太郎先生と池袋で再会した。当時のゼミ生と、年収はいくらだの、恋愛しているか、結婚する見込みはあるかなど、しばし通俗的な話題に終始したあと、ふと、会話中に「アイデンティティ」という言葉が飛び出した。先生はハイボールで喉を湿らせると言った。
「アイデンティティは大事だよ。僕もつねに自分が何者なのか考えている」
たとえば、開高健は著書の中で、自身のことを次のように定義している。
- 小説家
- 作家
- 記者
- ライター
- ドキュメンタリスト
- 釣師
芥川賞を受賞し、日本文学に不滅の軌跡を遺した作家でも、このように自己の認識、定義が揺れ動くのである。しかし、彼は本業はあくまでも小説家だと思っていたが、戦争、釣りなどに取材して、ルポルタージュを書くときは、自身の職業を記者と見なしていた。両者の職業に貴賤はないけれど、虚構(Fiction)にもとづいて書く小説家を虚業、事実(Fact)にもとづいて書く記者を実業と考えていたふしがある。
さて、それでは私は何者なのだろうか。文士(Writer, Journalist, Documentalist, Bookman)の才能があると思うが、これが本当にものになるのだろうか、今後の努力次第である。畢竟、私は編集者(Editor)ではなくて、作家(Author, Writer)になりたいのだろう。しかし、一方、大学、大学院で、政治学(Politics)を勉強していたので、私は政治学者(Politician1)なのではないか、という自負がある。少年の頃に抱いた、政治(Politics)の道に進みたい、政治家(Politician)になりたい、という希望は今も生きているのである。高校時代の恩師は私のことを、面白半分に「インチキ政治家」と呼んだ。そこに一抹の真理がある。