ポジとネガ

著者の仕事を初めて知ったのは、マイケル・ウォルツァー『寛容について』の訳業を通してである。

学術書なので、商業的に成功するのは難しいのに、その思想家の核心に迫る作品を地道に翻訳していく。おそらく、翻訳を通じて、他者の思想、言語と格闘することを通じて自身の思想を鍛え上げていく。単なる翻訳業者として終わることなしに、翻訳が自身の研究の中で独自の意義を持っている。大川正彦は多分そういうタイプの学者なのだと思う。

しかし、〈思考のフロンティア〉の一書として書き下ろされた『正義』は、彼のそのような学問に対する姿勢が十分に発揮されていないような気がする。さまざまな思想を紹介するが、どれも尻切れトンボに終わってしまって、一つの主題、一つの論旨に集約されていない。思想の断片、集積という感を受ける。——廃墟が垣間見れるほどに。彼は長年、マルクスを研究してきたが、矛盾が止揚されていないのではないか。本書によって、彼は思想家として未熟であり、独立していないことを露呈してしまった。輸入学問の域を出ていないのである。本書を読み進めるにつれて、私は『正義』というものがますます分からなくなってしまった。

けれども、本書が示唆したように、正義を考えるには不正義を考えなければならず、最高善を考えるには絶対悪を考えなければならない。それはとりもなおさず、よく生きることと結びついている、という主張は、政治学、政治哲学の永遠のテーマとして真面目に追究されなければならない。光は闇なしに存在しえないように、ポジはネガなしに存在しえない。著者はアルコール依存症を患っているらしいが、私も同病のよしみなので、彼を応援したい。病を得なければ健康は分からないのである。本当の活躍はこれからだ!