半世界

夜勤2日目終了。

初日は元旦に入ったので、今年の三が日は介護という因果な商売の思い出でイッパイである1

今年から今務めている会社との雇用契約が、総合職から一般職、要するに常勤から非常勤に変わるので、今後は夜勤を担当することはほぼないと思うが、この3年間、ひと月に4~6回、夜勤に入ったが、肉体的、精神的、そして、時間的負担は相当だった。

深夜の肉体労働はさることながら、夜勤に入ると睡眠相が乱れるので不眠になる。それを解消するためにアルコールに走る。持病の躁鬱病が悪化する。という負のスパイラルに陥ることが何度もあった。年々その傾向は悪化の一途を辿った。この連鎖を断ち切るために、私は常勤から非常勤に、正社員から非正規社員に降りたのだ。しかも、夜勤に従事していると、日中の社交/社会関係から遮断、排除される。近頃流行の言葉を使えば分断されてしまうのだ。私が夜勤で失ったものは、健康、時間、そして、友情である。経済学的にはすべて資本と見なされる。私は貧困に陥っていた。

私が夜の仕事で得たものは、「夜勤手当」のようなケチなものではない。世界の半分は日勤者、そして残りの半分は夜勤者で成り立っていること。日中の善良で快活で健康な市民生活は夜勤者の犠牲によって作られていること。このような認識である。そして、一方的な被害者意識に終わることなく、何か一つ二つ、積極的で、意義深い力を獲得したとすれば、多少の判断力と少々の男気である。


  1. ただし、この限りではない。元旦の朝は教会に参列した。