ホームとサロン

今日、2年ぶりに帰郷する。私の生家は埼玉県春日部市のアパートの一室だが、齢5歳くらいの、ものごころが付かないうちに、同県鴻巣市のある戸建に引っ越した。以後、25歳の時に、就職にともない一人、所沢市に転入したことで、鴻巣市の家は私にとって実家となった。

実家には、老父と老母、そして、老犬一匹が住んでいる。

私には兄妹が一人、妹がいる。職業は薬剤師だ。昨年、長年付き合っていた彼氏と同棲するために家を出た。先日、電話で母親伝いに、今年の9月に結婚すると聞いた。


葛飾の陋屋の書斎を見回すと、慄然とすることがある。雑然と積まれた書籍と埃。林立する酒瓶。ゴロツキ、フーテン、流れ者、酔漢がなだれ込んできて、楽しく一夜を過ごすこともあるが、妹のように永遠の愛隣とそれがもたらす平和とは無縁である。私には孤独と歓待、努力と逸楽、そして、自由がふさわしい。私は自身の境涯を後悔していない。こうしなければ、(事実上)会社を辞めて、個人事業主のジャーナリストを目指すことはできなかった。一人暮らしをして10年たつが、このために準備してきたと言っても過言ではない。

私が今日、帰郷する鴻巣の実家は文字どおり「ホーム」である。今夜、私はそこで父母とともにスキヤキの鍋をつついて、久しぶりに家庭の、家族の温かさを満喫するのだ。父母はいつまで健全でいるか分からない。たまにはこのような甘えを自身に許してもいいだろう。

一方、葛飾の私の借家はホームとしては少々住み心地はよくないが、サロンとしてはなかなか賓客に楽しんでもらえるのではないだろうか。酒、本、煙草、音楽を切らしたことがない。結婚は私にふさわしくないかもしれないが、社交は私の本質に適っている。この資質は病気と貧困が私を脅かして、人間ぎらいの性格をいっそう狷介にしても、おそらく、否定することができない事実なのである。