「落ちる所まで落ちたから、あとは昇るだけよ」
職場の看護師はそう、沈鬱な表情を浮かべている私を励ましてくれたが、ふと、ある疑問が浮かんだ。
人間はどこまで落ちることができるのか。もし、奈落あるいは地獄という場所があるとすれば、それはどこにあるのか。来世か。それとも現世か。そもそもそれは肉体を備えた、生身の人間が経験できるのか。もしかすると、それは場所であると同時に状態ではないか。と、いろいろな疑問が浮かんでくる。
「堕ちよ、生きよ」と坂口安吾は言った。また「尻もちを着いて、文学は始まる」と司馬遼太郎は言った。しかし、辷った人の臀部を支えてくれる地面は、床は存在するのか。底知れぬ深淵と虚無があるだけではないか。「深淵を見つめない方がいい。深淵もまた汝を見返してくる」というニーチェの言は、人間の執拗な自意識を感じさせるけれど、そうすると、意識1こそが人間の地獄ではないかという結論に達する。しかし、地獄はそんなに観念的、唯心的なものだろうか。私は地獄は
-
ニーチェはこれを“Es”と呼んだ。↩