精神障害者保健福祉手帳

本日、精神障害者保健福祉手帳を取得した。

等級は3級。申請の際に提出する主治医の診断書は読んでいないが1、診断名は双極性障害(躁鬱病)である。気分障害の一種だ。痼疾、宿痾、持病など、日本語には「不治の病」の表現はいろいろあるが、その人を苦しめている症状を「病気」と見るか、それとも「障害」と見るかで、その後の対応の仕方が大きく異なる。

病気は治療し、完治することができる。それを前提にして、治療計画は立てられる。かたや、障害は完治することができない。治療の限界と完治の無理を悟る時、初めて傷病は障害として認識される。彼/彼女はリハビリテーションによって、少しでも健常者に近づくことを余儀なくされる。患者としての生に加えて、障害者としての生が始まるのだ。

自身を省みれば、十代にすでにその兆候は認められたが、二十代半ばから私は躁鬱病に苦しめられてきた。躁鬱病は一般的に気分障害として分類されているが、私の場合、気分の浮沈よりも2、思考の歪み、思惟過程の問題の方が重篤だった。懸案が一つ増えると、それに掛かりきりになる。ぐるぐる思考ないし無限ループにはまってしまうのだ。倉阪鬼一郎の『活字狂想曲』に、「すみません。今日、頭の調子が悪いので休みます」と言うくだりがあるが、本当に頭が悪くなるのである。胃でもなく腸でもなく、純粋に頭の調子が悪い時(心の調子が悪いのではない)、私も先の人に倣って、素直にそう言うようにしている。周囲の人々は案外、納得してくれるものである。

私が精神科に定期的に通院し始めた頃、葛飾区役所の職員の方3が、精神障害者保健福祉手帳を紹介してくれたが、「私には必要ありません」と、断ってしまった。その4年後、私は手帳を申請し、交付される運びとなったのだが、その心変わりは何か? 躁鬱病は私の宿痾であり、一生、闘わなければならないと観念したのである。一時期、酒で解決しようと試みたことがあるが、どだいそれは無理な話で、結局、規則正しく薬を飲むことになるが、それでも寛解しなかった。定期的に頭の調子が悪くなる。私は病気に敗北したのだ。しかし、闘争の継続を宣言した。精神障害者保健福祉手帳の取得は、そのメルクマールなのである。

私は個人事業主になったのを機に手帳を取得したが、アルバイト、サラリーマンなど普通に会社に勤務されている方も、積極的に取得してほしい。所得税、住民税、相続税が控除になるので、その便益は計り知れない。障害等級3級はいかにも軽く聞こえるが、それに対する福祉の内容は勤労者にふさわしい。病気/障害を恥じたり、出世の妨げになるのでは、と心配される方も多いが、病気と本腰で闘うためには世間体など気にしてはいられない。ケイ・ジャミソンのように、躁鬱病は私の人生のテーマのひとつになっている。


  1. 患者は閲読不可。

  2. 躁鬱病と言われているように、気分の浮き沈みはあるが、私の場合、慢性的に抑鬱状態にあった。双極性障害2型の典型的な症例である。

  3. 区の福祉担当者として、篤実かつ親切な方だった。