場所と才能

どこに住めば仕事ができるのか? 収入が増えるのか? 才能が開花するのか? 30歳の頃の私はそのような現金な問いをえんえんと繰り返していた。

経済学や地理学、あるいは地政学の本に感化されたのではないか、と思われるかもしれないが、私の場合は文学だった。当時、〈塔〉という短歌の結社に入っていて、毎月1回(日)、浅草橋の中央区産業会館で歌会を開催していた。所沢の下宿を出て、そこに参加する中で、私はそのような歌を通じた社交が、歌人ないし文学者を育てるのではないかと漠然と感じていた。中村真一郎は『色好みの構造』の中で、文学の秘訣は「孤独ならざる社交生活」と看破しているが、当時の私には、先生とライバルが身近に存在し、恩寵、嫉妬などの感情にたびたび見舞われることになった。本当に苦労したのは、健康的、経済的理由で、結社を離れて、一人で書いていたその後の3年間であるが、そのことについては、ここでは深くは触れない。ただし、孤独が私を鍛え、ブログという個人的なメディアが私を支えてくれたのは確かである。孤独なのに孤独ではなかった。孤独は私の原点、アルファでありオメガである。

住む場所と仕事、そして才能について、いたく考えさせられたのは、リチャード・エルマン『ジェイムズ・ジョイス伝』を読んでからである。小説家、詩人のジェイムズ・ジョイスは、アイルランドのダブリンに生まれ、ローマ、チューリッヒ、パリと変遷し、最後にチューリッヒで没した。ここまで書いて分かることだが、すべて大都市である。ジョイスは生粋の都会っ子シティボーイであった。彼の住んだ街と作品は関係している。街の人々は彼の才能を見出し、彼の才能を育てた。作家と文学青年の次のようなくだりがある。

文学青年「どうして私にこんなに親切にしてくれるのですか?」

作家「私が友達を作るのは目的があるからですよ」

文学青年「あなたは冷たい人間ですね!」

作家「おやおや、私に感情がないとは!」

場所と才能の相関・相乗関係について、私が漠然と抱いていた予感を、実証的に証明してくれたのは、都市社会学者のリチャード・フロリダである。都市には人口と才能の集積効果があり、それによって技術革新や経済成長がもたらされるというのだ。人間に、社交的、内向的、あるいは開放的、閉鎖的、陽気、陰気など、多彩な性格があるように、都市にも独特の性格がある。人々は自身と似た都市に惹きつけられる。両者の性格が一致することで、人間と都市は奇跡的な成長を遂げるのだ。ことに経済成長に関して有意な性格は(経験の)開放性、すなわち好奇心、進取の気風、こだわりのない社交性である。フロリダによれば「広域東京圏」はこれに該当するのだそうだ。私は今、千葉で働いているが、そろそろ東京に帰還したい。私は東京を必要とし、東京は私を必要としているのだろうか? その趨勢を見極めたい。