BOOKMAN

TAKASHI KANEKO

あれもこれも

東京未来大学福祉保育専門学校の精神保健福祉士課程のパンフレットが届いたので、パラパラめくっている。

オンデマンドではなく、対面の授業スクーリングが11日もある。まだ詳細は分からないが、苦学生でも通えるように土日を中心に授業を組んでいるらしい。基本的な姿勢スタンスとして、私は授業に限らず、オンラインよりも実際リアルに対面した方が圧倒的に好きだ。入ってくる情報量はもとより、その場に居合わせることにより感じられる雰囲気を、何よりも大事にしているからだ。誤解を怖れずに言えば、人と人が出会えば身体的接触もあるはずで、その際に生じる偶然の邂逅に私は一縷の望みを賭けている。ゆえに通信課程でも、実際に先生と学生に会えるスクーリングを楽しみにしているのだが、現在の私の労働条件だと、土日にコンスタントに休みを取るのは至難の業である。

私は特別養護老人ホームで非常勤で働いているが、同僚の主婦とは違って、土日の勤務に応じるように上司から求められているのはひしひしと感じる。1ヶ月に3日(公休2日、有給1日)、希望休を申請できるので、日曜日を休日にできないこともないが、少なくとも月に1回は教会の聖餐ミサに参加したいので、残りの1、2日で、専門学校の授業に通うことになる。——ぱっつんぱっつんである。

来年、短歌結社 塔に復帰しようとしていたが、これでは無理だと悟った。結社誌(同人誌)に詠草を送るくらいは沙汰ないが、私にとって結社に参加することは、実際リアルの歌会に参加することを意味するので、それが叶わなければ、しかるべき時期を待つだけである。そもそも山谷とキリスト教の研究だけでもこんなに苦戦しているのに、短歌の研究・実作と、精神医学の研究を同時にこなすのは難しいと思う。ようやく身の程を弁えたと言うべきか。——と言いたい所だが、私は文筆家ライターとして、文学と政治学を、特に後者においては政治と宗教の問題を中心に執筆したいので、これくらいで音を上げてはいけないのである。ちなみに政治と宗教の問題は、目下世間が自民党と統一教会の癒着の件で喧しくしているが、私は以前からキリスト者として、地の国(カエサルの国)と神の国(キリストの国)の関係について、要するに権力ちから恩寵あいをめぐる問題として考えているので、何を今更、という感じである。