フォースターの場合

賃労働アルバイトの賃金が10円上がった。経営側の意向が反映されたらしいが、正直、この程度では何も変わらない。私の時給は13∗∗円のまま据え置きである。副収入を含めると月収手取り20万を越えるが、三十代男性の収入としては悲惨である。事業ビジネスと清貧は相容れない。後者は年金生活者の理想である。たぶん修道士も否定するだろう。学究生活には金がかかるのだ。冗談はさておき、年相応の思わぬ出費が嵩むのである。

イギリスの小説家 E・M・フォースターは晩年、自身の作家生活を回顧して語った。「私は金のために小説を書いた」文学は金になるか、ならないか。小説は金のために書くべきか、書かざるべきか。このいやらしくシンプルな論争は文学史の通奏低音として鳴り響いているが、作家の作品を書く動機は問わない、という結論で一致している。それは究めがたく、道徳的判断は相応しくないのかもしれない。

私にとって、少なくとも原稿料、すなわち金を稼げるようになることは、ライターとして一人前になったことの証である。今年、山谷の修道院の取材を終えたら、来年の新しい企画プロジェクトに向けて動き始める。金を稼ぐのはその主たる動機である。