であることとすること

家の近くにセブンイレブンができた。読書と執筆に疲れた真夜中に酒を買いに行くと、アル中の前駆的症状ではないかと思われるけれども、そうして生命いのちと英気を養い、いくつもの夜を越えていると思うと、必ずしも悪い気はしない。

BOOKMANの月間PVが1000回を越えた。世の名だたるブログに比べると、本当に小さな数字だけど、毎日更新している成果が如実に現れているのが嬉しい。こういうのが成功体験と言うのだろう。書けば書くほど自信になる。文士ライターの存在要件として、原稿料を稼いでいるとか、雑誌に寄稿しているとかが挙げられる。確かにそれらは物証として分かりやすいけれども、いくらでも取り替え可能な末葉な議論なように思える。書籍と雑誌を中心に書いていた時代と、WEBを中心に書いている現代とは、ライターの懐具合と台所事情はまるで違う。事業ビジネスが変貌を遂げているのである。この辺の事情は編集者エディター出版者パブリッシャーも同じである。

ライターの存在要件は書くことライティングの一事に尽きる。初めに確固たる存在があるのではなくて、絶えず行為をすることを通じて自身の存在を形成する。その意味で、ライターは実存主義の旗手である。『嘔吐』のロカンタンは言っていたではないか。「論文ではない。小説を書こう」

私は先にサルトルを引いたが、むしろ、それ以上に丸山眞男を読みたくなった(「であることとすること」を想起せよ)。そのことについてはまた回を改めるので、今夜はこれにて、ごきげんよう。