HandWriting

過労気味である。週5日、施設で介護をやり、残りの1日、2日に訪問介護をぶち込んだのがいけなかった。夜勤さえなければ大丈夫だろうと高をくくったが良くなかったのである。

思えば、介護に限らず、新聞屋でミニコミ紙のライターを週6日、7日、ぶっ通しで働いていた時も、過労で頭がビクビクした。疲れ過ぎると、私は基本的に無感動になる。口数が少なくなる。抑鬱的になるのである。今回、同じ轍を二度踏んだことで、自分の性向を改めて理解した次第である。ちなみにライターという好きな仕事をしているのに鬱になるなよ、と思われるかもしれないが、あの頃は広告ライターとして、取材と営業に頻繁に出向いていたので、身体に相当負担がかかっていたのである。会社もたいへん人使いが荒かった。己の自由意志ではなく、誰かの命令に服して仕事をするのはストレスなのである。

でも、今、この原稿を書いているのだから、君は過労ではないではないか、と思われるかもしれないが、ここが面白い所である。私は書いていると元気になるのである。休養の仕方に消極的休養と積極的休養の二種類があるとすれば、私の場合は前者が読書で、後者が執筆である。軽い運動のようなものであろうか。実際、執筆は心と体を動かす営みである。特にタイピングよりも手書きハンドライティングにその傾向が強い。机に前のめりになって、本当に闘うように書いているのである。

もともと私は手書きは苦手であったが、それでも私は鉛筆や万年筆などの筆記具が好きだった。今はボールペンなど、もっと良い道具があることも知っているが、私は頑なに先の二本を使い続けている。単なる懐古趣味といえばそれまでかもしれないが、私は本質的にシンプルな道具が好きなのである。現にこの原稿も、ルーズリーフに万年筆のペン先を、適宜インク壺に浸けながら書いている。その下書を、コンピューターで清書して完成である。

手書きハンドライティングの機会を増やして、気づいたことがある。

多少、酒に酔っても書けるのである。たしかに泥酔の極みに至れば、ペンを握ることは能わぬが、キーボードとは違い、ペンが杖の代わりを果たしてくれるので、酒に酔いながら、気持よく書くことができるのである。現に今、梅酒を飲んでいる。(酒を)飲みながら仕事をするなんて、不謹慎ではないか、と思われるかもしれないが、殊に文芸の世界では、書ければ何だっていいのである。書いた者が勝つのである。なので、多少、鬱ぎみであれば、アルコールの効能ちからを借りるのもよいではないか。そのことに気づかせてくれた手書きハンドライティングであった。

Montblanc Meisterstuck 146