シガレットの色気

煙草を嗜んで、3年が過ぎた。初めて吸った紙巻はHOPEで、会社帰りの終電を逃した時、北千住の歩道橋で夜のビル群を眺めながら一服したのであった。その後、パイプに手を出すまで、1年とかからなかった。

確かに、私は愛煙家には違いないが、ヘビースモーカーないしチェーンスモーカーではない。シガレットであれば、日に2、3本くらいだし、パイプも週に2、3回くらいしか吸わない。むしろ、まったく吸わない日があっても大丈夫である。私の身体の体質が、それほど煙草を求めていないというのもあるし、私は他に御香を焚く趣味があり、普段から煙に曝されているので、そこまで煙草に依存しなくて済むという事情がある。

それゆえ、シガレットは癖になるので、パイプ一本でいきたい、という思いがあるけれど、なかなか実現できずにいる。やはり、シガレットの手軽さには敵わないのだ。今は主に、LARK、Peace、LUCKY STRIKEの三つの銘柄を転がしている。けだし思うに、シガレットの魅力は手軽さに尽きない。私が魅了されたのは、その色気である。色気とは何か? それは年齢、性別を超越した、その人から立ち昇る光輝かがやきである。

煙草の似合う人は西洋人に多い印象があるが、日本人も負けてはいない。若き日に、大杉栄と心中未遂事件を起こした、神近市子の色気は半端ない。世に言う美人ではない。しかし、シガレットを片手にした時の色気が凄いのである。しかも、戦後、社会党の代議士をしていた頃は、とうに還暦を過ぎたおばあちゃんなのだから、私の御色気理論の証左のような存在である。他にもいい写真があるので、興味のある人はGoogleで検索してみてほしい。

歴史は確実に禁煙の方向に進みつつあるし、それは仕方がないことだと思うけど、シガレットやパイプの代替にアイコスなどの「デバイス」が席巻している状況を、私は苦々しい心持で眺めている。だいたい掌で、硬い棒を握りしめて吸う様は、見た目としてよろしくない。しかも、煙草を燻しているから、焼き芋の味がするし、臭くてかなわん。——そう思うのは私一人だけではないはずだ。

と、時代遅れの老害のようなことを語りながら、秋の夜長に一人、紙巻を片手に珈琲を啜っている。そろそろ手巻煙草の習慣を再開しようかと思いながら。

神近市子