大学生の頃、指導教員の先生に突きつけられた言葉がある。
「あなたは理論が好きなんです」
先生は檄して、感情を顕わにして言われたが、10年以上たった今でも鮮明に覚えている。それは後の人生で、先生以外の人々にも繰り返し言われてきたからだ。
思想(理論)だけでは物を書くことができない、と気づいたのは、政治学の論文ではなく、むしろ、短歌を始めた頃である。短歌の先生には「抽象的に説明するのではない。具体的に描写しなさい」と繰り返し指導された。当然、私は思想が好きだから、最初は思想的な、観念的な歌を書いていた。しかし、面白くないのである。
人が悟る思想は少ない。しかし、人が視る事物は多い。
思想は単純である。しかし、事物は複雑である。
日常の些末な出来事に目を向けると、書くべきことが山ほどあるように思えた。「これが文学なんだ」と私は感得した。しかし、理論(思想)好きの私は次のことも理解していた。ただ単に日常の出来事を叙述した歌(文)はつまらない。退屈なのである。仏つくって魂こめず、というのはこういうことで、具体的な事物の描写の中にも思想が宿っていないと、私は飽き飽きしてしまう。それに事物の描写に終始して、それで佳し、とするのは、なんだか頽廃している気がする。それは素朴リアリズムである。ゴシップに過ぎない。私が辻邦生、開高健、中村真一郎の小説に感動を覚えるのは、豊饒な文体の中に鞏固な思想を看取できるからである。
さて、理論の覚書きはこれくらいにして、そろそろ実践に移りますか。