来し方行く先

職場のコロナ禍はようやく落ち着いてきて、とりあえず私の配属されているフロアでは新規陽性者は出なくなった。ただし、他のフロアに飛び火しているので、感染が全館に拡大しないようにウイルスを封じ込める必要がある。今が正念場である。

昨夜は5時間くらい寝たが、けっこう疲れていた、なによりも、気が張りつめていたんだと思う。クラスター発生当初よりも少しはましになったが、依然として感染のリスクは高いし、防護服を着ながらの真冬の労働は寒暖差が激しく、体力を奪われるのだ。今年、特に年の瀬は本当に現場で働いた、という感じがする。

そろそろ本腰を入れて転職の準備を進めなければ、否、それよりも先に、文筆の方を頑張らなければならない。先日、塔短歌会への入会を済ませたが、4年間の空白を経て、これでようやく再スタートが切れる。結社に所属するということは、権利だけでなく、それに伴う責任と義務が生じるので、もう一度、兜の緒を締め直すこと。

書くことは大事で、文士ライターとはそういう職業であるが、併せて読むことも大事で、ハッキリ言って、今のままの読書量では創作全体を支えることができない。読書の経験は、執筆の段において、表現の手数を増やすことに資する。実際に私は文語訳『聖書』を読み込むことで、私の短歌の修辞レトリックは飛躍的に向上した。同時に読書においても、古文を読むことを少しも厭わなくなった。韻文の技術の向上を、散文に活かすことはできないか、と考えているが、これは実際に書いてみなければ分からない。やはり、小説を書かなければならないのだろう。

来年の目標は仕事を変えることであるが、それだけで良しとする訳にはいかない。読むこと、書くことを、今よりも多くして、活動の総体を伸長、拡大することだ。作品を書くことの難しさを思えば、転職など容易たやすいものである。