特権的瞬間

未だ低空飛行を続けている。申し訳程度に短歌は書いているし、作品のクオリティはそこそこ担保している。しかし、いかんせん生産高が少ない。これぐらいの作歌のペースだと、毎月結社誌に詠草を提出し、歌会に参加していると、すぐに顎が出る。今こそ歌人としての自覚を強くし、年の瀬で気を引き締めること。これから猛者たちと闘うのだから、創作と同時に研究を進めなければならない。

山谷のルポルタージュを年内に書き上げられなかったことが心残りだ。いつまでも心の片隅に置いていると、具合が悪い。今年もまだ終わった訳ではない。一度書き下ろした原稿は諦めないこと。

立教学院諸聖徒礼拝堂のクリスマス礼拝に参加した。今年は聖餐式と同時開催である。昨日のクリスマス・イブ礼拝が、学生、生徒の保護者など、比較的一般の市民を対象にしていたのに対し、今日のクリスマス礼拝は堅気のキリスト者を対象にしていると感じた。まだ洗礼を受けてない私でもそれは分かった。秘跡サクラメントは日常的な時間の継起を断絶する、特権的瞬間と呼ぶべきものである。

2022年は本当に色々なことが起こったが、全体的に見て苦しい年だった。しかし、去年までのように、会社に大人しく勤めて、しかも夜勤をこなすことで、人生の貴重な時間を奪われることに比べたら、本当に豊富な年だった。その証拠に今年は出来事が多かった。新しい仕事、友情、恋愛があった。それは苦悩と歓喜を呼び起こした。そして、私はそれを真摯に文字に書き留めた。私達の心に平和が訪れ、そのわざがいよいよ豊かになりますように。メリー・クリスマス。

立教大学