旗日のない生活をして久しい。キリスト教徒になって、クリスマスと正月は奪還したけど、他は以前として祝日の感覚がない。とまれ、私は先に「旗日」と書いたが、私は国家が恣意的に制定する祝日に対して関心がないので、この状態でも特に不都合はない。
政治哲学者の南原繁はキリスト者であると同時に国家主義者であった。この点は銘記されていい。彼は歌集『形相』で靖国を賛美する歌を書いている。無教会派は徹底した個人主義だが、それを支える社会を否定するために、国家(国体)に案外飲み込まれやすい。共同体を形成する真の紐帯は何か? それは南原の政治哲学の永遠のテーマであり、彼はそれは愛と答えたが、彼のその愛は個人と社会を超えて、国家をも包んでいた。彼を批判するのは易しい。しかし、彼の功績は政治学に力(権力)だけでなく、愛(恩寵)の必要を訴えたことである。弟子の丸山眞男は師のこの教えを受け継がなかった。彼には彼の問題があったし、もともとその気質でもなかった。天才はジャックナイフのような冷徹な知性を持ち合わせているらしい。