Marginal Woman

ヨーロッパ就中、ドイツにおいて、ナチスを初めとする反ユダヤ主義が吹き荒れた。その際、多くの知識人たちはドイツからフランスへ、あるいはイギリスへ逃げたが、最後に行き着いたのはアメリカだった。亡命知識人たちのアメリカへの影響を検証したのが本書である。

戦中、戦後アメリカにおいて、社会科学、人文科学、ならびに芸術家を含めた知識人は苦闘を強いられた。アメリカの学術界、読書会に受け入れられるかは、文化的文脈、歴史的文脈にかかっていた。しかし、それだけではない。亡命知識人が異文化に接した際、開かれた態度を取るか、閉じた態度を取るかにかかっていた。ドイツ/オーストリアでも成功を続けるためには、少なからずアメリカの文化に迎合する必要があった。そのためには意識的/無意識的な戦略が必要である。その点で、本書は成功と敗残の物語である。これを記述するためには相当なリアリズムの勇気が要求される。

ハンナ・アレントは本書においては、「自称賤民パーリア」と称される。今日の名声を考えると想像できないかもしれないが、彼女はアメリカで主要な大学の終身在職権テニュアを持つことはなかった。彼女が信奉していた現象学も、亡命した当初はアメリカ哲学会の周縁に置かれていた。彼女のアメリカでの成功は、主な関心を哲学から政治学に切り替えたこと、そして、アイヒマン裁判を初めとするジャーナリスティックな仕事に手を染めたことである。このような政治的活動は、しっかりした大学教授の身分では案外叶わないことである。在野の知識人として生きることが彼女の性に合っていたように思われる。