金銭と地面

『塔』5月号が到着した。力作という訳ではないが、提出した10首中4首しか載らなかった。選者は誰か確認するまでもなく、本を閉じた。「悔しい」という気持は不思議に起こらなかった。「もういいや」という投げやりな感情があるだけだ。

短歌を書くのは好きだし、これからも折に触れて書き続けるけど、これからはもう結社に所属するのは止そうと思う。作家は作品を作ればよいのだから、それに付随する社交は本来余計なものである。社交が目的ならば、そのための組織に入ればいい。たとえば教会——ここで私の社交欲は健全に満たされている。

短歌結社 塔には私の居場所がなかった。昔から思っていたことだけど、会社で仕事として書いていると、結社で趣味として書いている人々と接する時に、なんとなく違和感を感じていた。昔、朝日新聞出版社で派遣社員として働いていた頃、先輩の編集者に短歌を書いていることを告げたが、「金にならないことをして、いったい何になるんだ?」と言われたことがある。無価値なことをしている、それは同時に彼にとっては無意味なことなのだろう。しかし、彼の指摘は的を射ている。

人は金を稼ぐことに頓着しなくなると、すぐに頽廃する。そのための業を磨くことを怠るからだ。文筆は兎角、空理空論に耽りがちだが、金銭を得ることによって、ようやく地に足が着くのである。私は文章を書く目的を、どこまでも金を稼ぐことに求めたい。