取材の楽しみ

昨日、割と大掛かりな取材を終えたので、ひとまず、ホッとしている。新調したカメラのレンズも調子がよく、良い画が撮れたと思う。

10年前、新聞屋でライターをしていた時、私は取材に行くのが億劫で堪らなかった。体力的に疲れるし、その後に深夜のオフィスで原稿を書くと思うと憂鬱だった。叶うことならば、机の前に坐り続けて、自分の洞察、自分の思想で書き続けたかった。

しかし、この頃の私は取材に行くのが好きである。取材を通じて、自分とは違う誰かに会える。これが楽しいのである。もちろん、仕事だから愉快なことばかりではないけど、それでも自身の狭い生活世界を抜けて、未知の世界、未知の存在に出会えることが嬉しい。オフィスの椅子に坐っていても、毎日同じことの繰り返しである。そして、やがて何も書けなくなる(書斎の椅子に坐っていても、私はアル中になるだけだろう)。自家中毒の連鎖に風穴を空けてくれるのだろう。

10年を経たこの心の変化は何か? たぶん、オフィスや現場に閉じ込められた経験が大きいだろう。出版社で派遣社員をしていた頃も、1日8時間以上、オフィスの一角に閉じ込められていたし、その後、介護職に転身して、老人ホームの現場で苦役させられた頃は、本当に「近代の鉄の檻」に閉じ込められた。多分、マックス・ウェーバーも自身の発言がここまでリアリティを持つとは思っていなかっただろう。

取材に出ることは、私にとって「鉄の檻」からの脱出を意味する。この解放感が堪らないんだ。昔は机に齧りついて、本で読んだこと、自己の頭が拵えたことを書いていれば宜しいと思った。作家になりたいと思った。しかし、私には幸か不幸かその才能がなかったし、今では巧妙な虚構よりも、素朴な事実の方が尊いと思う。私の職業は記者ライターでよろしい。また、それを超えて、人々に楽しみを教えて、軛から解き放つ福音記者エヴァンジェリストになれたら、身に余る喜びである。