左足の母指球が痛い。痛風である。旨い物の食べすぎ、あと、酒の飲み過ぎだろう。
立教学院諸聖徒礼拝堂のチャペルキャンプが8月17日~18日の1泊2日、清里で行われた。参加者は総勢17人。私はキャンプの責任者として、企画、運営、引率を担当した。
兄弟フランシスコ菊地雄大くんが用意したプログラム「イエスの足跡を辿る黙想と礼拝」は好評で、清里の森を散策しながら、聖書を朗読、聖歌を奉唱した。最後の方は正直、根性が必要だったが、信仰とはこういうものだ。
チャプレン李相寅先生のアングリカン・ロザリオを用いた「出来事中心の黙想」では、新しい発見があった。導入にあたって、キリスト教とハイデッガーの実存哲学の相似を説き明かしてくださった時には、私も学生に交じって(負けじと)、さまざまな質問を投げかけた。
今回、チャペルキャンプを企画・運営して悟ったのは、教会および礼拝堂は、若者を初めとした人々の教育と成長の場である、という明確な事実である。私は大学教授でも何でもない、一介の新聞記者である。しかし、チャペルで仕事に励む私の背中を見せることで、学生を教育し、また、私自身が成長している(むしろ、彼等に教育される)のである。この循環を一度知ってしまうと、病みつきになり、辞められないのである。
キャンプが終わった当日、翌日に、たくさんの人からお礼と励ましのメッセージを頂いた。今年の10月に私はキリスト教文学/神学専門の文士に転向する。もう、私を止めることはできない。