野分過ぎて、秋来たれり。夜風と虫の音が涼しい。
深夜、起きると、枕とシャツが寝汗で濡れていた。原因は酒ではない。仕事のストレスだ。この執筆・編集という仕事は楽しいだけではない。締切に追われ、取材先、読者の反応に苦慮するなど、精神的ストレスがけっこう大きい。もちろん、好きでやっていることなので、介護現場の夜勤に比べて、苦痛は少ないが、不眠、不安など精神的不調は抱えやすい。日頃から抗精神病薬を飲んで、対策をしておきたい。
今週号の「シルバー新報」の8面が組み上がった。新聞記者の仕事を始めて1年半が経つが、自分で企画を立て、取材をして書いた原稿が組まれて、一つの面を構成すると、やはり嬉しい気持になる。同紙の8面は文化面で、行政面、ビジネス面よりも、企画、文体において遥かに自由度が高く、私は毎月の第1週にこの面に書くのが好きだったのだが、言い換えれば、私は文化面しか役に立たなかった記者と言える。もちろん、6面のビジネス面では「福祉起業家列伝」が予想以上の反響で、今後も続いていく予定なので、成功した企画に入るが、それでも、コラムなので、普通の新聞記事とは言いがたい。
思えば、小説家の司馬遼太郎も「産経新聞」では早々にサツ待ちを免除されて、文化部に配属されていた。もちろん、私のような才能も努力も乏しい者が、司馬遼太郎を引き合いに出すのは、大変おこがましいが、彼にしてみれば、「早々に仕事を引退させられて、車庫に入れられた」気分だったという。彼の胸中は今となっては遺された文章から推し量るしかないが(忸怩たる思いがあったに違いない)、それでも確かに言えることは、彼は新聞記者としての己の資質、小説家としての己の天分をはっきりと自覚していたのだ。