BOOKMAN

TAKASHI KANEKO

生活の中の祈り

会社を辞めて、約2ヶ月、平日は人とほとんど会うことなく、孤独に過ごしているので、自由に使える時間が増えた。基本的には読書と執筆、それと少々の飲酒と仮眠に充てているが、退屈になる時がある。すると、どうだろう。私は持て余した時間を瞑想と祈祷に使い始めた。要するに一人で祈り始めたのである。

クリスチャンは毎週日曜日に、教会に行き、聖餐ミサでキリストの御体と御血を共に頂き、礼拝を捧げる。これが世間から見たクリスチャンの生活である。確かに間違っていないが、必ずしも隣人となりびとと共に祈る必然性はない。

むしろ、キリスト者としての修行は、ミサとしての共同の祈りにあるのではなく、極めて個人的な一人で行う祈りの中にあるのではないだろうか? 私は以前から、ふと不安に襲われた時、道の真ん中や、エレベーターの中で祈っていたが、それが書斎にまで拡大したまでである。

私は原稿を書く時、聖書を読む時、祈る。主の祈りを唱えたあと、己みずから言葉を手繰り寄せて祈る。これもミサに劣らず、立派な宗教の実践、キリスト者の修行だと思っている。