カインは主に言った、「わたしの罰は重くて負いきれません。あなたは、きょう、私を地のおもてから追放されました。わたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならねばなりません。私を見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう」。主はカインに言われた、「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。そして主はカインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた。カインは主の前を去って、エデンの東、ノドの地に住んだ。
『創世記』4:13-16
昨夜は仕事あがりに、小岩のBar Jamに寄った。銀座で働いて、終電近くで帰って来るので、日付もすでに変わる頃である。カウンターには私の他に3名の顔なじみの常連客が居て、一人は酒を飲まず葉巻を吸っていた。私も久しぶりにパイプを薫らせながら、ネグローニ、オールドファッションなどのカクテルを楽しむことができた。普段は人のために作っているので、己が客として人に作って貰ったカクテルを飲むのは格別である。
週4回、銀座のバーのカウンターに立っているが、緊張しているためか凄く疲れてしまう。その反動で近頃は毎日10時間以上寝ている。身体と思考はそれなりに働いているが、少し鬱状態なんだと思う。毎日、抗精神病薬を飲んで、規則正しい生活を送る方が医学的には正しいと思うが、暫くこういう期間があっても良いのではないか。今まで眠れない生活が続いたし、昨年9月末に会社を辞めてから、2ヶ月の休養を経て、再び働き始めたからだ。着実に社会復帰できていると思う。ただ、経済的に厳しいので、ライティングの業務委託を増やすために営業を掛けなければならない。介護福祉を専門にしているだけでは狭いので、創作を通じて、文芸にも進出したい所だ。
中島義道の『カイン』を読んだ。アダムとエヴァの子供には長男のカインと次男のアベルがいる。カインは神に穀物を捧げ、アベルは仔羊を捧げたが、神は前者ではなく後者を喜び、これを善しとされた。このために、カインは嫉妬に駆られ、アベルを殺害した。これが人類史上初の兄弟殺しである。「殺人」の罪を負ったカインは、主の面から離れて、荒野の彷徨人となった……。
私はキリスト教の洗礼を受ける前から、勉強の機会を与えてくれる司祭を前に「私はカインです」と言い続けてきたが、今でもその確信は揺らぐことはない。洗礼を享けても、私は紛れもない罪人なのだ。しかし、今回、『カイン』を読んでみて、中島氏が「そして主はカインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた」1の一節をエピグラフとして引いていて、読んで嬉しく思った。主は兄弟を殺した者に対しても、その額に神の民としての印を付けられ、彼の平和を願い祝福してくださった。初見では見過ごしていたが、私はこの事実を知った時、泣きそうになった。否、不覚にも泣いたのである。夜、書斎で一人酒をしていると、ますます泣けてくるので、私は笑うために酒場に行くのである。サラリーマンを辞めてからは控えているが、たまには外で飲むのもいいではないか。
- 『創世記』(4:15)。↩