BOOKMAN

Takashi Kaneko

ヴィヨンの妻

奇蹟はやはり、この世の中にも、ときたま、あらわれるものらしゅうございます。

太宰治『ヴィヨンの妻』

新潮文庫で太宰治の作品を読み進めているが、予想以上に聖書の引用が多い。太宰治のキリスト教文学は今後、検討されるべきだが、それ以前にたび重なる放蕩、中毒など、無頼派としての彼の生き方に、己を重ねてしまう誘惑に駆られる。世代を越えて、太宰が根強いファンを獲得してきた理由が、ようやく分かり始めた。

無頼派の作家としては、以前、坂口安吾を熱心に読んでいたが、安吾には無く、太宰には有る視点がある。それは家族の問題である。太宰は安吾に比べて、芸術至上主義者には成れなかったのではないか。放蕩無頼を極めた芸術家の表情にふと、倫理、または信仰の影が去来する。破滅的に生きているように見えて(実際に破滅したが)、本質は真面目である。

「人非人でもいいじゃないの。私たちは生きていさえすればいいのよ」