昨夜は大学のゼミの先生、同期と4年ぶりに再会した。先生以外は研究者ではないが、職場、家庭の愚痴などを話すことは少なく、昨今の政治状況について忌憚なく話したような気がする。私は今、政治学の勉強を辞めてしまって、関心は文学、神学にシフトしているが、人々を支配する権力、結び合わせる友愛など、政治社会に対するリアリスティックな認識は、学生時代の勉学に由来していると改めて思った。
そもそも私はどうして政治学の勉強を辞めて(諦めて)しまったのだろう? おそらく、私の表現したいという気持が、勉強したいという意欲を上回ったのだと思うが、それだけでなく、単に生活が忙しすぎたのかもしれない。老人ホームで介護をしながら、政治学の勉強をするのは至難の業だろう。しかし、あの頃、シェルドン・ウォーリンの『政治とビジョン』と『新約聖書』を読み返さなければ、私はキリスト教の洗礼を受けなかったし、次の段階に進むことはできなかっただろう。その結果、専門が文学、神学になろうとも、その根本には政治学の知識と経験があるような気がする。
もし、今、政治学を勉強、研究しなさい、と言われたら、間違いなく政治哲学を選びたい。神学を学んだ成果を活かせる自信はないが、たとえば、国家と教会の関係を問うなど、政治学と神学の領域は重なる所もある。政治学で学んだことは神学に生きるし、その逆も然り。しかし、目下、それに努めていないということは、まだその時ではないのだろう。