午後11時半に寝て、午前2時半に目を覚ます。完全に中途覚醒である。今日は教会の受付当番の後、バーで夜まで働くので、また、ひと眠りするが、どうしてこんなに睡眠相が安定しないのだろう。やはり、アルコールのせいだろうか。昨夜(今週も)友達のお宅の夕食に招かれて、酒をほどほどに飲んだが、それがいけなかったのだろうか。しかし、私にとって、人生と社交は酒を媒介にして、つねにセットになっているので、そこから酒のみを除くことはできない。酒は人生を楽しむ妙薬なのだ。多少、金が掛かるし、時には失敗もするが、楽しみの原因をどうして除くことができるだろう?
深夜、時間があったら小説を書きたいと常々思っているが、今はプランが一つもない。アイデアが降りてくるのを祈りつつ、ひたすら、読書に耽っている。昨日、気づいたことがある。とかく、抽象的なものを好むので、普段、哲学書、神学書などを読んでいるが、読んでいると、時々(むしろこの頃は頻繁に)、うわっ、と思うことがある。本の頁を開いた途端、気圧されて、読めなくなってしまうのである。包み隠さずに言えば、この頃は神学校に行くことも検討しているが、この調子では、神学校の勉強は覚束ないだろう。神学書を読めない、神学生などというものは存在しないからである。なので、今は神学校に進学するのは断念している。
しかし、そのような、そこはかとない絶望の中で、気づいたのである。聖書と小説は難しいことを考えずに読める、と。これは私にとって福音だった。この方向で努力すればいいのである。夢を実現するためには、正しい方法で努力をしなければならない。それを見定めるのが才能だと言いたいくらいである。今の私のタラントは、聖職者になることよりも、小説を書くこと、小説家になることのために用いられることを望んでいるらしいのである。