彼は血に染まった衣を身にまとい、その名は「神のことば」と呼ばれていた。
『ヨハネの黙示録』19:13
通勤中、電車の中で『ヨハネの黙示録』を読み返していた。すると、思わぬ発見があった。キリストは「神の言葉」だというのだ。これは『ヨハネによる福音書』の以下の記述に相当する。
初めにことばがあり、ことばは神と共にあり、ことばは神であった。
『ヨハネによる福音書』1:1
やはり、ヨハネ文書には思想的な一貫性がある。「父と子と聖霊」の神の三つの位格は、「本質/言葉/聖霊」と言い換えると、少し分かりやすくなるかもしれない(もちろん、神の本質を言葉で表現し尽くすことはできない)。
しかし、『ヨハネの黙示録』はキリスト者の心情に訴える表現が多い。次の一節には思わず、ほろっとしてしまう。
見よ。神の幕屋が人と共にあり、神は人と共に住み、人は神の民となる。神自らが人と共におられ、彼らの目から涙をすべて拭い取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも嘆きも痛みもない。これまでのものは過ぎ去ったからだ。
『ヨハネの黙示録』21:3-4