昨夜、3時に寝たが、今朝、6時半頃に隣家の幼子の泣き声で目を覚ます。つい最近、引っ越してきたご家族で、「小さい子がいるので、いろいろとご迷惑をお掛けするかもしれませんが、宜しくお願いします」と、ご挨拶されたので、仕方ないだろう。夜にバーの仕事が控えているので、正午にまたひと眠りしたい(こういう柔軟性がアルバイト稼業の良い所だ)。
世のほとんどの会社は今月26日に仕事納めをしたと思うが、私の勤めるバーは大晦日まで最後の追い上げを見せる(しかも年越4時半まで営業している)。銀座の街には勤め人の姿はめっきり減ったが、年の瀬は友人、恋人と特別な時間を過ごしたい人が多いのか、こと酒場においては思いのほか盛況である。
振り返れば、今年は文学的にも経済的にも苦境に立たされた年だった。小説は書くには書いたが、自力でAmaoznで出版するくらいの力業が欲しかった所である。今後は何らかの文学賞に応募して、結果として商業出版に載せられなかった作品をオンデマンドの自費出版で世に送り出したい。本文はで組版して、表紙はInkscapeで装丁すれば十分可能だ。技術は揃っている。あとは内容をいかに充実させるかだ。
今年の初めは介護の業界新聞と業務委託契約を結んでいたが、あっけないほど直ぐに仕事が来なくなったので、実質上、契約打ち切りになった。また、介護のポータルサイトにも1文字1.5円で記事を書いていたが、この頃は編集者(イマドキはWEBディレクターと呼ぶのかしら)からの連絡も途絶えた。多分、もう仕事の依頼は来ないだろう。今年の原稿料収入は35,979円である。
介護福祉の専門記者としての私はすでに終っているのだろう。実際、現在進行中の高市政権による臨時介護報酬改定の議論・状況を全然追い駆けていない。細かく見れば、処遇改善加算の追加、施設サービスの点数引き上げ、ケアマネジャーの更新制の廃止など、イシューはいろいろあると思うが、根本的には介護人材流出防止策なので、業界人以外の一般の人々への影響は限定的だろう(ただし、介護保険利用者負担2割が導入されれば、話は別である)。介護福祉業界を離れた(見捨てた)私が云々言うのもお門違いな気がする。実際、コロナ禍が終息した後、私のようにメディア業界、飲食業界に転職した介護職は多い。
謙遜せずに言えば、今の私は介護福祉よりもキリスト教に関する知識の方が多く、豊かだ。前者に比べて、後者の方が情熱もある。介護福祉は再びメディア業界に復帰するために、その知識、経験、資格を存分に利用させて貰ったが1、見方を変えれば、単に経歴に縛られていただけで、実際は蛇足、惰性にすぎない。
一方、キリスト教は未来を遥かに見据えている。私にとってキリスト教は、真理の探究、永遠の命、愛、希望の恢復、可能性の追求など様々なテーマを含んでいる。これらは私が人生の後半、否、人生のすべてを賭けてでも追求すべきことだ。この転回の背景には、世人からキリスト者へ、新聞記者からキリシタン文学者への変貌がある。
このプロセスは今年、静かに、しかし、大きく進行したのではないか。仕事では目立った成果を上げられなかったし、いたずらに貯金を減らしたが、キリスト者としての霊性は着実に成長していると思う。芥子種はすでに蒔かれた。あとはこれをどう育てるかだ。
- もちろん、介護現場で共に苦しい思いをしてきた仲間に対する愛はあったが、業界新聞の記者として、その情熱を持ち続けるのは難しかった。↩