BOOKMAN

Takashi Kaneko

文士の死

先々月、介護福祉系の記事の執筆を3本、依頼されたが、全然書けずにいる。文学ではなく、単なるお役立ち記事を書くのが嫌なのかもしれないが、依頼された原稿を書かない/書けないというのは、文士ライターの死を意味する。私はもう少し書くことに一所懸命になった方がいいのかもしれない。

会社では案外、書く機会は多いが、記録を書くのと作品を書くのは繋がっているけど、やはり、別次元なので、やはり、私は腰を据えて、作品を書かなければならない。幸いにして、今は聖書を読む以外に、小説、随筆など、文学作品を読む機会は多く、小説を書く気運は高まっているので、物心ついて以来感じていた、私の文学に対する熱情をもうひと推ししてあげればいいかもしれない。

しかし、小説を書くのとは別に、ブログを毎日書かないのは、文士としての怠慢である。ブログは文士の活動報告、畢竟、私、兼子崇志という人間の生存報告なのだから、ブログを書かないことは、文士の死、あるいは人間の死を意味する。死ぬのが怖ければ、毎日書き続ける。それ以外に死を克服する方法はない。

幸いにして、会社のワークライフ・バランスは良いので、平日の時間は余っている。帰宅後、ウイスキーでも飲みながら、ブログでも小説でも何でも書けばいいのだろう。なんだか不道徳、不健康な感じもするが、芸術は健康のため、あるいは道徳のために行うのではないのである。病気や罪悪を動機にして、人生いのちを乗り越えるために書く。そこに文学とキリスト教の接点があるのである。