昨夜、ジンを、それもけっこう飲んでしまって、今日は身体が疲れていたのか、たえず眠くて、集中力が持たなかった。今夜こそ禁酒を達成し、眠気が差したら、抗精神病薬と睡眠薬を飲んで、さっさと寝てしまおうと思う。それまでは安い紅茶を飲みながら頑張りたい。
来週の主日にチャペルで、聖書の読書会を行う予定だ。企画者はもちろん私だが、この頃の私は聖書をあまり読んでいない。小説、随筆ばかり読んでいる。神学をいったん棚に上げて、文学に打ち込んでいる様子だ。
文学においては、太宰治、吉行淳之介を読んでいる。前者は聖書を愛読していて、基督教文学の立場に近いが、後者はまったくの無神論である。ただし、お互いに欲望の誠実さ、罪深さ、人間に対する優しさを持ち併せているという点では一致している。
私が文学に開眼したのは、今に始まったことではなく、学生時代、青春時代の志を今も持ち続けている為であるが、聖書を愛読したのも今に始まったことではない。大学1年生、18歳の時から始まっている。新約聖書を初めて読んだ時、私はこのテキストを文学的、政治学的に解釈した。私のこの傾向は今も変わっていない。聖書を神学的に読むようになったのは、教会で洗礼を受けた後の習慣である。
洗礼の秘跡は消すことができない。神の愛が私に働き、私は復活を、生まれ変わりを経験している。しかし、改めて思えば、私が新約聖書に触れた18歳の冬の時も、私は恩寵に満たされていたのではなかったか。それゆえ、今の私は学生時代の私と寸分の違いもない、と結論づけたくなるのだ。