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TAKASHI KANEKO

破戒

結論から言おう。私が企業内ライターとして転職する可能性は99%ないだろう。昔、読売新聞系列のミニコミ紙の記者をやったことがあるけど、幼稚園の運動会や、自民党議員の取材をしたけれども、苦痛以外なにものでもなかった。当時、付き合っていた大学院生の恋人が言った。「君、どんどん遅れを取るよ」労働者はたらきびとになんてことを言うんだと思ったけど、今になってみると、その人の言わんとすることがなんとなく分かる。

私のようなわがままな人間は、文芸で勝負するしかないんだと思う。学問は駄目だ。作法があるから。短歌も韻律という形式があるではないかと思われるかもしれないが、感情と修辞を盛り込んだ者が勝ちなので、殊のほか市民的道徳規範を破った方が喜ばれる(尊ばれる)風潮がある。「私達の代わりに、よくぞ、言ってくれた!」という感じである。明治の頃に与謝野晶子が、平成の頃に俵万智が大衆の支持を集めたのはその辺の心情による。短歌は破調が許されているのだ。だから、皇室の新年のお歌合せを短歌(和歌)だと思ってはいけない。伝統にことづけて、紋切型の感情を詠んでいるに過ぎない。これを怠慢と呼ぶ。前例を踏襲しているので楽である。かたや、伝統を詳らかに見ると、革新と保守の争闘の歴史だと分かる。芸術家は並べてその上に立つ。ついつい短歌について書き過ぎてしまったが、小説も事情は同じである。絶えず型は作られ、絶えず破られる。破戒の連続である。汝、大胆なれ。